『みやこぢの別れ』(飛鳥井雅有)に見る平安時代・鎌倉時代東海道の旅程
『みやこじの別れ』は飛鳥井雅有が鎌倉で行われる放生会に参列するため東海道(鎌倉街道)を下り鎌倉に下向した際の旅日記である。後年の旅で書かれた『春のみやまぢ』に比べれば地理情報は簡略であるが補完の意味で重要である。
※タイトル画像は一遍上人絵伝より、補作
以下は『飛鳥井雅有日記注釈』p.117、みやこぢの別れ、(濱口博章、桜楓社)から本文のみ引用
※文中アラビア数字の西暦年月を記した行は筆者が便宜のため挿入した。グレゴリオ暦が現代の季節感に近い。
みやこぢの別れ 建治元年(1275年) [干時 雅有卿右中将三十五才]
過ぎにし弥生のころより、雲の通ひ路、朝夕踏みならし、藐姑射(はこや)の山、常盤の御蔭(みかげ)に馴れ仕へて、いとゞ都の名残、昔にもまさりて、立ち離れがたく覚ゆれど、心にまかせぬ身、逃るゝ方なきことさへあれば、心ならず急ぎ出で立つ。ころは七月廿日あまりのことなれば、秋のあはれにうち添へて、都の名残を歎く。
いかにまた忘れ形見に思ひ出でん 都別るゝころの有明
唐衣つまを都にとどめ置(き)て はるばる行かん道をしぞ思ふ
賀茂の御社にて
惜しからぬ身を祈るかな帰りこん 後の頼みも命ならずや
(8月30日グレゴリオ歴、8月23日ユリウス暦)
八月朔日(ついたち)の暁深く立つ。留まる人々、見だに送らとにや、車二ばかりにて、粟田口のわたりに立てたる、轅の前を過ぐる程、言ひしらず悲し。やうやう明け行く空の横雲、風に流れて、雨さへそぼ降る。松坂といふ所に、院の上北面前左馬権頭重清といふ者、追い来たり。歎きの日数いくほどなくて、歩きなど思ひ寄らぬほどなるを、思ひ送るもいぶせければ、一目もしらずなどいふ。互ひに駒を控へて涙をぞ拭(のご)ふ。とかうためらひて、名残のことゞも言ひて別れぬ。これは、飛鳥井の近きわたりにて、朝夕来つゝ遊ぶ。御鞠の奉行にて、ことに」言ひ馴れるたり。又、端々いさゝかたづねしことも侍りし故にや、近く妻(め)に遅れて、籠りゐて侍りしが、これまで思ひ立ち侍る、いとありがたし。相坂にて
立ち帰りまた逢坂と頼めども 別れを止めぬ関守は憂し
逢坂の往来(ゆきき)を護る督ながら など塞き止めめ別れなるらん
旅衣袂涼しき秋風に 掬(むす)ばで杉の木陰もる水
神奈備(かんなび)の森とかやいふ所より、左衛門大夫仲頼、またかねてより待ちけると覚えて、うち出でたり。道みち名残互(かた)みに惜しみて行く。瀬田の橋渡りて、四、五丁行く。道傍らなる所に、女の招くを見れば、京にて馴れ遊びし白拍子なり。この四、五日物参りとてたづねしに、こゝにて待ちけるなるべし。心ざしあはれなれば、うち入る。田舎だつ住居、竹植ゑわたして、ことなる事なけれど、あるべしく住みなしたる所なり。この者あるじだちて、小余綾(こゆるぎ)のいそぎ、さかな持ち出でゝ酒勤む。酔ひ乱れて、各々懐より、笛・筝・篳篥(ひちりき)など取り出でゝ吹き合はす。名残の句など数ふるに、皆涙を落とす。いとゞ来(こ)し方恋しくて、進まれず。さのみあるべきならねば、心は留まりながら、出でぬ。道のほど、この名残また酔ひ取り重ねて、溺れて、何の事も覚えず。鏡に暮るゝ程に着きぬ。仲頼、なほこれまで慕ひ来ぬ。また、土器(かわらけ)一流れくだりて、物語しつゝ、蓬の丸寝皆したり。
来し方の俤(おもかげ)留めよ鏡山 今日より後の忘れ形見に
愛智(えち)川といふ所に下りたれば、十一、二ばかりなる尼の、白子(しらこ)とかやいふなる、髪よりはじめて」、眼の中(うち)まで、黒き所なき者出で来て、物を乞ふ。年ごろ名ばかりは聞けども、いまだ見ざりつるに、目当てられずかはゆし。これも様変(やうかは)りたりと思ひて行くに、また六、七ばかりなる幼き者、行き合ひたり。見れば、額のなかばより鼻の端まで、丸く毛生ひたり。かゝる姿こそ世になきものなれ。かやうなることゞもゝ旅ならではいかでか見るべきとと覚ゆ。させる事ならねど、例(ためし)少なきによりて記しおく。暮れ方に、摺鉢山を越ゆ。限りなく都恋しく、物あはれなり。またなく悲しきは、旅の山路の夕べの景色なりけり。思ふ人々ある都だに、秋の夕はなほ身しむものなるに、たゞ言はん方なし。
これならで何を寂しと思ひけん 旅の山路の秋の夕暮れ
番場といふ所に留まりぬ。仲頼、これより帰らんといへば、名残に夜もすがら遊ぶ。皆、袖濡らしぬ。一所に寝て、名残惜しむ。たゞ止むときなく、京のみぞ恋しきや。
古里を恋ふる涙も草枕 一つに結ぶ袖の白露
これより帰る人々に、人のもとへ申し遣はし侍りし。
恋しさの慰むとしはなけれども 託(かこ)つかたとてねをのみぞ泣く
不破の山にて、関の藤川を渡りて
今もまた関の藤川行き通ひ 君に仕ふる年ぞ経にける
猶、仲頼帰りかねて、垂井まで慕ひ来たり。雨さへ降りて、いとゞ心ぼそし。去年(こぞ)泊りたりし宿に行きたれば、空薫くゆらかして、旅の宿りとも覚えず、心にくし。これにつけても、都のみぞ思ひ出でらるゝ。あるじ、女(むすめ)二人具して出でたり。例のことなれば、酒勧め、音とひ、琴・琵琶弾きなどして遊ぶ。男ども笛・篳篥(ひちりき)吹き、吹き合わせて楽三、四す。歌鼓のあるを取りて、一に懸く、いと興(けふ)あり。仲頼さのみ日を、送り侍らんも不便なれば、人々これより帰す。侍従、我が着たる帷子を取らす。側にて詠み侍りし。
降る雨の蓑代衣塩垂れば 恋ひん涙の形見とも見よ
暮るゝほどに、墨俣といふ所に留まりぬ。苦しさに何事も覚えず。辺(ほとり)近ければ、日高く萱津に着きぬ。年ごろ遊びたる君ども来て、酒など勧む。例の事なれば、歌うたひのゝしりて、楽四、五あり。
朝潮に行き合はんと急ぎ行けば、はや潮満ちて、行(き)交ふ人、山を巡ると言へば、甲斐なくして
潮満てばよそになるみの浦別(れ) 白雲かゝる山路をぞ行く
熱田の宮に下りゐて、潮また干なんと言へば、待つほど乾飯(かれいゐ)など食ひて、ながながしければ、道の手向けに、季有といふ篳篥(ひちりき)吹き召して、庭火・朝倉吹かせて奉る。潮すでに引くと言へば、急ぐ道なれば、いまだ干果てぬ浪を分けて行く、なかなかおもしろし。二村山は木もなし。たゞ薄・女郎花(をみなえし)ばかり□みたてり。げに二村の錦と見ゆ。
女郎花見るに心は慰(なぐさ)まで 都のつまをなほ忍かな
矢作に泊りて、寝覚に詠み侍(り)し。
思ひ寝の都の夢路見も果てゞ 覚むれば帰る草枕かな
高師山を越えゆれば、いまだ浦遠きに、波の音、風に類ひて聞こゆ。
沖津浪高師の山の山松に 響き通はす秋の潮風
潮見坂下りて、あまり苦しければ、海人の釣り舟に乗りて、人をば先だてゝ、管弦するものばかり乗り具して、宿に入(る)ほど、海青楽吹き合わせたり。
湊より入海遠くさす潮に 棹を委せて上る海人(あま)舟
その浜名の橋は名を得たる所なる、人ことに情けある遊びども多ければ、今日は泊りたれど、放生会日数なければ、急ぎ過(ぎ)んとするに、君ども来て、ことに興ありて遊ぶ。例の事ど様ざま遊びつゝ連歌などする君どもあれば、過ぎ憂し。
日暮るゝほどに、からうじて思ひ起こして出でぬ。夜になりて、引馬に泊りぬ。前中将基盛(もとより)朝臣、これにありけり。労わることありて逗留したる由、消息す。あまり苦しければ、対面せず。日数の重なるにつけても、思ひおく人々の事のみぞ苦しき。
あはれ今日都に帰る人もがな 覚つかなさの言伝てもせん
天中といふ川渡りて、遅るゝ者待つほど、かの郷の長者がもとに立ち入る。こゝには某の卿とかやの女(むすめ)、思ひのほかに住む由聞けば、呼び出ださんとて、各々例の糸竹吹き合わせて待ちゐたるに、雨掻き暗し降れば、今日はことに行末遠しとて人々勧むれば、本意も遂げずして立ちぬ。濡れぬれ行き悩むほどに、小夜の中山暮れて越ゆ。
これやこの小夜の中山名もしるく 暮れて越え行く道辿るなり
菊川に留まりぬ。
霧ながら濡れて乾すなる旅衣 小夜の山路の菊川の水
宇津の山にて
都には青葉をぞ見し宇津の山 蔦も楓も紅葉しにけり
清見が関にて、海人(あま)呼びて、潜(かづ)きせさせて、いまだ浦馴れぬ初(うゐ)下りの人どもに見す。
あるじの君、酒取り出だして勧む。潮満ちて、山路を巡るとて
清見潟浦をば浪の塞き止めて 山にめくるゝ袖ぞしをるゝ
蒲原といふ所にて、夜もすがら月見て遊ぶ。たゞ来し方のみぞ思ひ出でらるゝ。朝霧深ければ、富士川渡りかねたり。
明(け)やらぬ富士の川門(と)の朝霧に 浅瀬を辿る秋の旅人
富士の山を見て
都にて夏の氷を見したびに 思ひくらべし峰の白雪
三島に留まりぬ。月ことにさやけくて、神代の事まで思ひ続けられぬ。各々楽どもして奉る。たゞ急ぎ帰らんとのみぞ祈らるゝや。
月を見ば思ひ出でよと契り置きし 人は今宵や我を恋ふふらん
心遣りたることならんかし
酒匂に着きぬれば、見馴れたる者、遊びども来集ひてのゝしる。基盛朝臣、この宿にて追ひつきたり。呼びて酒飲み、管弦し、連歌など言ひ捨てゝ、夜もすがら遊ぶ。今宵ばかりと思へば、なほ都の名残り、旅寝も名残惜しく覚ゆ。
笹枕今宵一夜の旅寝にも 都のみこそ夢に見えけれ
(9月11日 グレゴリオ歴)
十三日、故郷(ふるさと)に帰りたれば、見しにも似ず荒れまさりたり。こゝには誰こそありしかなど、さまざま昔恋しくて、目も合はず。
都人今日古里の月見ると ひを数へてや空に待つらん
虫の音も月も昔の秋ながら 我(が)独寝(ひとりね)の床ぞ変れる
山路まで慕(した)ひにけりな久方の 雲井に馴れし夜半の月影
(9月13日 グレゴリオ暦)
十五日、放生会にて、侍従・丹後の守引き連れて供奉。かやうの事につけても、まづ京の事のみ恋しけれ。何のあやめも見分かず、眺めのみして、舞端々も見ねば、人々いかになど言ふ。帰(かへ)さに、道にて月出でたり。わが住む峰高ければ、月まだ隠れて待たる。
谷隠れ我がゐる山の高ければ 道に出でにし月ぞ待たるゝ
秋の月眺めがらなる光かと 今宵を知らぬ人に問はゞや
くるしさといひ、また、明日の出作ことに解かるべしとて奉行人申せば、名高き月をも見ず、楽三ばかりして寝ぬ。
(9月14日 グレゴリオ歴)
十六日、あまり苦しうて、今日は百日の歌の果てなれば、人々呼びて会などあるべけれど、叶はねば、今百日を延べぬ。
歌浦や百夜(ももよ)の数をかき延べて 藻屑の外の玉を尋ねん
折々詠み侍りし歌。
月を見て
眺めつゝ契りし事を忘れずは 月にや人の思ひ出づらん
折々詠み侍りし歌。
山里の月は雲井の外ならば 都忘るゝ夜半をあらまし
月影は同じ雲井の秋ながら 千里の外に見るぞ悲しき
蟋蟀(こおろぎ)の枕の近く鳴き侍りしかば
都思ふ枕の下のきりぎりす 我が泣く音をもあはれとや聞く
きりぎりす我がなく友となりにけり 汝(なれ)も都や恋しかるらん
時雨降る日
かきくらし都の方も時雨せば ひたすら恋ふる涙とをしれ
折々詠み侍りし歌。
大空に掩ふばかりはなけれども 時雨にまけぬ袖の村雨
折々詠み侍りし歌。
野分したる夕に
折々詠み侍りし歌。
野分する荒れたる宿の夕暮れにひとり眺むる袖を見せばや
折々詠み侍りし歌。
独寝は、夏の夜だに長きものなるを、名に負ふ長月の夜なれば明けやらず。
折々詠み侍りし歌。
明けやらぬ寝覚めかへり 幾度鶏の声を待つらん
折々詠み侍りし歌。
踏み初めし雲の通ひ路立帰り また山里に身を隠すかな
折々詠み侍りし歌。
京なる人のもとに遣わし侍りし。
恋しさのあまりになれば水茎の 書き流すべき言の葉もなし