平安時代東海道における渡船追加に関する太政官符
古代交通に於いて最も障害であったのは渡河であった。徒歩で渡れない川には渡船があったがその規模、場所は不明な点が多い。承和2年(835年)6月29日付けの太政官符は、重要文献でよく引用されるが、原文全体が開示されないので、ここで紹介する。
引用元:国史大系 類聚三代格・弘仁格抄 後編 、p.494(吉川弘文館)
内容の要点は
- (1)浮橋を2か所に設ける
- (2)渡船16艘を追加する
- (3)布施屋(避難所)を墨俣河の両岸2か所に設ける
古代交通に於いて最も障害であったのは渡河であった。徒歩で渡れない川には渡船があったがその規模、場所は不明な点が多い。承和2年(835年)6月29日付けの太政官符は、重要文献でよく引用されるが、原文全体が開示されないので、ここで紹介する。
引用元:国史大系 類聚三代格・弘仁格抄 後編 、p.494(吉川弘文館)
内容の要点は