更級日記の東海道の旅をもとに平安時代の古地形や文献で平安時代日本を再現
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中世日記に登場する遠江国浜名地域

平安・鎌倉時代の東海道における遠江国浜名地域は日本有数の景勝の地



 東海道は鎌倉幕府が成立して鎌倉が行政、軍事に関する事実上の首都になったために、急激に交通量が増え、道路、宿場が整備された。それに伴い、往来記録も増加した。現在の湖西市の新居町、浜名地域は景勝の地として名高く、単に宿場町としてばかりでなく、『うたたね』に描かれているように、保養地としても都の貴族が訪れていた。平安時代に同じ場所にあったと思われる猪鼻駅と呼ばれていた駅家は完全に記憶から消し去られ、橋本の宿となって再登場する。その鎌倉時代をとおして繁栄した橋本宿も明応、永正の地震・津波災害を境として人々の記憶からかき消え、江戸時代には新居宿がこの地域の宿場となる。ここでは以下4書の浜名地域に関する記述を抜粋する。

出典:岩波、新日本古典文学体系・中世日記紀行集

※メイン画像は現代の天の橋立の写真ですが、かつての浜名の入江もこのような風景ではなかったでしょうか。




①東関紀行

仁治3年(1242)8月10日都を出発8月25日頃に鎌倉に到着するまでの紀行。作者不詳

②十六夜日記

弘安2年(1279)10月16日に都を出発、10月29日鎌倉着までの紀行。作者:阿仏尼

③海道記

貞応2年(1223)4月4日都から出発、鎌倉までの紀行。作者不詳。しかし、和漢の典籍に通暁した相当の学識者。おそらく承久の乱で配流された後鳥羽上皇の周辺にいた人物ではないかと推測されている

④うたたね

(1240頃?)10月20日頃、都を出発、橋本宿に11月下旬まで逗留。 作者:宮仕え時代の女房名を安嘉門院四条と言われた女性。のち阿仏。

 


 

①東関紀行



 参河、遠江のさかひに、高師山と聞こゆるあり。山中に越えかゝるほど、谷川の流れ落ちて、岩瀬の波ことごとしく聞こゆ。境川とぞいふなる。



  岩つたひ駒うちわたす谷川の音もたかしの山に来にけり



橋本といふ所に行つきぬれば、聞渡りし(甲斐)かひ有て、景気いと心すごし。南には海潮あり。漁舟波に浮かぶ。北には湖水あり。人家岸につらなれり。其間に洲崎遠く指出て、松きびしく生ひつゞき、嵐しきりにむせぶ。松のひびき、波の音、いづれも聞きわきがたし。行人心をいたましめ、とまるたぐひ、夢を覚まさずという事なし。湖に渡せる橋を浜名と名付く。古き名所也。朝たつ雲の名残、いづくよりも心ぼそし。



  行とまる旅寝はいつもかわらねどわきて浜名の橋ぞ過ぎうき



扨て(さて)も此宿に一夜泊まりたりし宿あり。軒古たる萱屋の所々まばらなる隙より、月の影曇りなく指入りたる折しも、君どもあまた見えし中に、すこしをとなびたるけはひにて、「夜もすがら床の下に晴天を見る」と、忍びやかに打ち詠たりしこそ、心にくく覚えしか。



  言の葉の深き情(なさけ)は軒端もる月のかつらの色に見えにき



※原文はカタカナ表記だが読みにくいので平仮名に改めた


 

②十六夜日記



 高師の山も越えつ。海見ゆる程、いと面白し。浦風荒れて松の響すごく、浪いと高し。



  我がためや浪も高師の浜ならん袖の湊の浪は休まで



いと白き洲崎に黒き鳥の群れゐたるは、鵜という鳥なりけり。



  白浜に墨の色なる嶋つ鳥筆の及ばば絵に描きてまし



浜名の橋より見渡せば、鴎といふ鳥いと多く飛びかひて、水の底へも入る。岩の上にもゐたり。



  鴎ゐる洲崎の岩もよそならず波のかけ越す袖に見馴れて


 

③海道記



 十日、豊河を立て、野くれ里くれ遥ばると過ぐる、峰野の原と云う処あり。日は野草の露より出て、若木の枝に昇らず、雲は嶺松の風に晴て、山の色天と一(ひとつ)に染めたり。遠望の感心情つなぎがたし。

  山の端は露より底にうづもれて野末の草に明くる凌晨(しののめ)

やがて高師の山にかかりぬ。石利(いわかど)を踏みて火敲坂(ひうちざか) を打ち過れば、焼野原に草の葉萌出て、杪(こずえ)の色煙をあぐ。此林池を遥に行けば、山中に堺川あり。是より遠江国に移りぬ。



  くだるさへ高しといえばいかがせんのぼらん旅の東路の山



此山の腰を南に下て遥に見くだせば、青海浪々として、白雲沈々たり。海上の眺望は此処に勝たり。漸に三脚に下れば、匿空の如に掘入りたる谷に道あり。身をそばめ声を合わせてくだる。下りはつれば、北は韓康独往の栖、花の色夏の望に貧く、南は范蠡舟の泊、浪の声夕の聞に楽しむ。塩屋には薄き煙靡然となびきて、中天の雲片々たり。浜?(ひんりゅう)には捜(もとむ)る潮涓焉とたまりて、数条の畝せきせきたり。浪による海松布(みるめ)は、心なけれども黒白を弁へ、白洲に立る鷺は、心あれども毛砂にまどへり。優興にとどめられて暫く立れば、此浦の景趣は窺かに行人の心をかどふ。



  行過る袖も塩屋の夕煙たつとて海士のさびしとやみぬ



夕陽の景(かげ)の中に橋下の宿に泊る。鼇海(ごうかい)南に湛て、遊興を漕行舟に乗せ、駅路東に通ぜり、誉号を浜名橋にきく。時に日車西に馳て、牛漢漸くあらはれ、月輪嶺に廻て、兎景初て幽なり。浦に吹松の風は、臥も習はぬ旅の身にしみ、巌を洗ふ波の音は、聞も馴ぬ老の耳にたつ。初更の間は日比の苦に、七編の薦の席に夢みると云ども、深漏は今宵の泊の珍重に目覚て、数双の松の下に立り。

磯もとどろによる波は、水口かまびすしくののしれども、明蔭り行く月は、雲の薄衣を被て忍やかに過ぐ。釣魚の火の影は、波の底に入て肝を?し、夜舟の棹の歌は、枕の上み音信て客の寝覚めにともなふ。夜も已に明行ば、星の光は隠て、宿立人の袖は、よそなる音によばはれて、しらぬ友にうちつれて出づ。暫く旧橋に立とどまりて珍き渡を興ずれば、橋の下にさしのぼる潮は、帰らぬ水をかへして上ざまに流れ、松を払ふ風の足は、頭を越てとがむれどもきかず。大方羇中の贈は此処に儲たり。



  橋本やあかぬ渡と聞きしにも猶過かねつ松のむらだち



  波枕よるしく宿のなごりには残して立ぬ松の浦風



十一日、橋下を立て、橋の渡より行く行く顧れば、跡に白き波の声は、過る余波をよび返し、路に青き松の枝は、歩む裾を引きとどむ。北に顧れば湖上遥に浮で、波の皺水の貌に老たり。西に望めば潮海広く滔て、雲の憂き橋の匠に渡す。水上の景色は彼も此も同じけれども、潮海の淡鹹は気味異なり。?(みぞ)の上には波に?(はうつ)鵙(みさご)、涼しき水をあふぎ、船中には唐櫓をす声、雁をながめて夏の天に行もあり。興望は旅中にあれば、感腸頻に廻て思休しがたし。


 

④うたたね



 都出でて遥かになりぬれば、かの国の中にもなりぬ。浜名の浦ぞおもしろき所なりける。波荒き潮の海路、のどかなる湖の落ち居たるけじめに、はるばると生ひ続きたる松の木立など、絵に画かまほしく見ゆる。


落ち着き所のさまを見れば、ここかしこにすごくをろかなる家居どもの中には、同じ茅屋どもなど、さすがに狭からねど、はかなげなる葦ばかりにて結びをける隔てどもも、かけとまるべくもあらずかりそめなれど、げに「宮も藁屋も」とおもふには、かくてしもなかなかにしもあらぬさまなり。後は松原にて、前にはおおきなる川のどかに流れたり。海いと近ければ、湊の波ここもとに聞えて、潮のさす時は、この川の水逆様に流るるやうに見ゆるなど、様変りていとおかしきさまなれど、いかなるにか、心留まらず、日数経るままに都の方のみ恋しく、昼はひめもすに眺め、夜は夜すがら物をのみ思ひ続くる。荒磯の波の音も、枕の下に落ち来る響きには、心ならずも夢の通路絶え果ぬべし。



  心からかかる旅寝に歎くとも夢だに許せ沖つ白波



富士の山は、ただここもとにとぞ見ゆる。雪いと白くて、風になびく煙の末も夢の前にあはれなれど、「上なきものは」と思い消つ心のたけぞ、もの恐ろしかりけ る。甲斐の白根も、いと白く見渡されたり。

 

 

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