菅原孝子東海道の旅の経由地
更級日記に記された菅原孝標一行がたどった旅路は、経由地でほぼ推定できる。驚くべきことは延喜式に記載されている平安初期の東海道の駅路とはかなり違うことである。この東海道は近世東海道に近づく過渡期、すなわち鎌倉街道の経路に近い。実はこのコースは平安時代にはじまり鎌倉、室町、戦国の長きにわたった基本ルートであった。
下の地図で〇で経由地、国府を■で目印として記入した。
更級日記に記された菅原孝標一行がたどった旅路は、経由地でほぼ推定できる。驚くべきことは延喜式に記載されている平安初期の東海道の駅路とはかなり違うことである。この東海道は近世東海道に近づく過渡期、すなわち鎌倉街道の経路に近い。実はこのコースは平安時代にはじまり鎌倉、室町、戦国の長きにわたった基本ルートであった。
下の地図で〇で経由地、国府を■で目印として記入した。