更級日記の東海道の旅をもとに平安時代の古地形や文献で平安時代日本を再現
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『更級日記紀行』サイト管理人のご挨拶

管理人の松太夫です。下総国分寺の北、四半里の地に住まいしております。歴史は昔から好きでしたが専門家ではありません。1995年頃、更級日記に出会い、そこから平安時代の社会に関心を持ちました。私にとって、更級日記は古典文学ではありません。一日本人の回想録として読んでいます。 私の高校生時代は、つめこみ教育の時代で古文も漢文もたっぷり教え込まれました。その後、その知識は仕事には何の役にも立ちませんでしたが、齢を重ねて古典を手に取った時、ほとんど抵抗なくその世界に入り込める自分に驚きました。そればかりか高校生の時分には理解できなかったことが人生を重ねたことで、分かるようになっていたのです。あの時の古文の先生、漢文の先生には、今になって「ありがとうございます」と心の底から感謝しています。古典には人間の叡智が詰まっています。これを人生に利用できると、できないのでは、大きな違いです。人類の中でも私たち日本人は大量の父祖の遺産を引き継ぎ、必要に応じ自由に利用できる世界でも稀な民族です。

時空を超えて心を揺さぶる古典の力

奈良時代に生きた日本人も現代に生きる私たちも、人としての心情は全く同じです。 万葉集にある山上憶良の『子等を思う歌』をご覧ください。

≪子等を思ふ歌≫
  瓜食(は)めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ
  いづくより 来りしものぞ 眼交(まなかひ)に もとなかかりて
  安眠(やすい)し寝(な)さぬ

≪反歌≫
  銀(しろかね)も金(くがね)も玉も何せむにまされる宝 子にしかめやも

小学校の国語で習うこの短歌には何の注釈も必要ありません。私たち日本人は1200年も前の人と全く同じレベルで 心を通わすことができるのです。もっと深く古文を勉強すれば、さらに多くの感動や知恵を古人から教わることができるでしょう。
   ところが近年、高校教育で国語の古典をあまりやらなくなったと聞きます。そればかりか日本史も必修でないので、若い世代はこの列島で祖先がどのように生きてきたかほとんど知りません。彼らの知識はせいぜい中学どまりです。彼らと話すときはまるで外国人に説明するように、前置きから始めなければなりません。どうやら、今の世代は父祖の遺産を利用できなくなりつつあるようです。この大地の上で人々がいかに生き、努力し、もがきながらも人生を楽しんできたかを知れば、私たちも「もうちょっと頑張ってみよう、工夫してみよう」と思えるのではないでしょうか。数えることもできない多数のご先祖が背中の後ろで私たちを励ましてくれているのです。
  更級日記は平安文学の中でも平易に書かれたものです。その意味で「古文の世界」入門にはちょうど良い題材です。このサイトは若い世代が古典の世界を知るきっかけになるよう、関連する背景についてできるだけ画像などで直感的に理解できるよう工夫しました。どうか、この日本人の宝の山に、一人でも多くの若者が分け入ってくれることを願います。

『更級日記紀行』の更新履歴

2003.05.23サイト公開(プロバイダーbekkoame internationalのホームページサービス
2009.01.28独自ドメインsarasina.infoに移転
2016.04.26 リニューアルとともに新ドメインに移転 sarasina.jp
2022.05リニューアル
 

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