更級日記の東海道の旅をもとに平安時代の古地形や文献で平安時代日本を再現
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石瀬川(多摩川)の渡河点はどこか?

岩瀬川の渡しも微高地にある



 岩瀬川(多摩川)の渡河地点は丸子の渡しとしか考えられない。中世でも品川を通る近世東海道ルートは通れなかったという。また、おそらく平安時代には多摩川デルタが大きく広がり丘陵上の道しか通れなかったと思われる。そうすると中原街道が丘陵を下りた所にある渡し場、「丸子の渡し」が唯一の渡しではなかろうか。太井川(江戸川)、隅田川と同様、丸子の対岸(田園調布)で宿泊し、翌日船で渡河したと思われる。但し渡し場の正確な位置は確定できない。多摩川は時代により大きく流れを変えており、その都度、渡しの位置は変化しているからである。明治の頃まで多摩川は激しく蛇行し現在のようなストレートな流路ではなかった。ちなみに縄文時代には海が丸子辺りまで湾入していたという。逆にいえば、丸子は海進時にも水没しなかった微高地で、洪水でも水没することがない渡し場であった可能性が高い。参考地図には多摩川浅間神社の位置を例示している。この地点の標高は海抜14mである。

 

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