更級日記の東海道の旅をもとに平安時代の古地形や文献で平安時代日本を再現
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浜名から三河国府までの鎌倉街道

浜名から三河国府までの道は以下の典型的鎌倉街道の特徴を示している。しかし平安時代、更級日記の道筋は現在のJR新所原駅までは共通だがそこから左折し、江戸時代の東海道としばし同じ経路をたどり、岩屋観音辺りから海岸沿いにそれ、高師の濱に向かう。そして豊川をしかすがの渡りで渡河する。鎌倉時代に入っても「しかすが」(志香須賀)の渡しは使われていたかもしれないが、おそらくは度重なる水害により、豊川上流部に移転したものと思われる。以下に述べる鎌倉時代のコースはたとえ多少の起伏があろうとも、水による障害を避けた典型的コースとなっている。鎌倉街道の特徴とは、


(1)直線的

(2)丘陵や山の尾根、丘陵の縁をつなぐ道路

古い時代の旅では低地の通行はできる限り避けた。低地は雨の時期には道がわからなくなるだけでなく危険である。雨が少ない季節でも葦などの植物が繁茂し通行困難で、見通しがない。そのため遠距離を旅する街道には丘や山の尾根の道が選ばれた。尾根は登るのは大変だが、登ってしまえば道が水没することはなく木さえ伐り払えば眺望があり方角を見失わない。眺望を頼りに移動すると、必然的に道は直線的になる。

 浜名から三河国府の間も巧みに丘陵をつなぎ、全体的に見れば見事に直線的である。細かく見れば道はうねったり水路があれば迂回し、なるべく自然地形に沿って無理がないコースとなっている。この点、地形をあまり考慮せず強引に直線道路とした古代駅路とは大違いである。無理がない道路の方が人に使われ永続するのは当然である。



三河国府、浜名間の主な経由地点




  1. 八幡宮(三河国府)

  2. 牛川浪之上稲荷社

  3. 赤岩寺

  4. 日吉神社

  5. 普門寺

  6. 天神社



<住所と創建年代>

①愛知県豊川市八幡町字本郷16、創建年代:飛鳥時代?国庁の遺構は八幡宮から400m程西(曹源寺)にあるが平安中期までには廃絶したと考えられている。事実上の国衙は国司館に移っていたと思われる。鎌倉街道は八幡宮前を通っていた。

②愛知県豊橋市牛川町西郷100-1、創建年代:鎌倉時代とか?往時の豊川東岸の渡し場である。

③愛知県多米町赤岩山4、創建年代:神亀3(726)

④愛知県豊橋市岩崎町坂尻2、創建年代:神亀4(727)

⑤愛知県豊橋市雲谷町ナベ山下ナベ山下7、創建年代:神亀4(727)

⑥静岡県湖西市新居町浜名1301、創建年代:不詳。このポイントは起点として重要である。実際のランドマークはこの西にあった高師山であり三河の方からも見通せたはずである。この山は明応の大地震(1498年)で崩壊したと思われ現在は存在しない。




※メイン画像の地図:国土地理院20万分の1地勢図「豊橋」を一部抜粋して編集


この区間の鎌倉街道の現時点(2016)での痕跡



残念ながら、線としての街道の痕跡は多くない。浜名からJR新所原駅までは工場団地、住宅地の開発で戦後暫くまで残っていたと思われる古街道はほとんど消滅している。一方、幸いなことにJR新所原駅から北西に向かう街道は、里山、丘陵が多いため、かなりよく残り、忠興八幡神社(江戸時代の創建で古社ではない。愛知県 豊橋市 牛川町乗小路30)まではたどれる。それから先は平地が多いため工場敷地、住宅、河川改修などで消滅し、線としての街道はほとんど歩くことができない。古い寺社を頼りにポイントを結んで古街道を想像するだけである。『平安鎌倉古道』(尾藤卓夫)で歩けた道は現在かなり減っている。

 

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