更級日記の東海道の旅をもとに平安時代の古地形や文献で平安時代日本を再現
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平安時代東海道、駿河竹之下ー永倉駅区間を現代道路にたどる

平安時代東海道は足柄峠コースが主道であった。足柄峠から駿河・竹之下に下り、富士の裾野を御殿場を経て永倉(長倉)駅家想定地に至る道は現代の道路でたどれるであろうか。 平安・鎌倉街道箱根路については尾藤卓夫氏の『平安鎌倉古道』などの踏査記のおかげで、現代でもかなり跡をたどることが出来る。 しかし、黄瀬川に沿った足柄コースについては踏査記がないので、平成31年(2019年)現在の道路で検証を試みた。しかし、東名高速道路、裾野バイパスの建設で消滅した区間が多く、大筋妥当と思われるコースを歩いた、というレベルである。踏査コースは陸地測量部の明治28年5万分の1地形図(御殿場、沼津)を基に作成した愛鷹山南麓ー足柄峠越え東海道の推定コースを現代の地図に落して、おおよその歩行ルートを決定した。



富士の裾野を歩く



JR御殿場線足柄駅からスタート。昭和19年に丹那トンネルが完成するまで御殿場線は東海道本線で乗降客も多かったと思われるが現在は無人駅である。

JR足柄駅前より小山高校のある丘を望む

西口に出ると左手[南方向)に山が見える。これが更級日記が言う関山である。 駅前に水色の建物で橋本屋という食料品店がある。そのはす向かいの足柄駅前郵便局前の道を上り鮎沢川を渡る。すぐ左に諏訪神社があり、その脇の小道が関山(現在は横山)への登り口である。少し先に広い自動車道路もあるが、旧道を登る。

鮎沢川 諏訪神社

少し登ったところで左手に集落がある。この山懐に囲まれた集落は平安末期か鎌倉時代にできた最初の『竹之下』宿である可能性が高い。承久の乱後、東関紀行の作者が泊まった竹之下はここではなかろうか。更に登ると石仏、石碑のようなものが集められた一角がありいかにも古道の雰囲気があるが、これは道路改修の際、近隣にあったものを集めたものだろう。広い自動車に出て、5分ほど登ると前方に城壁のようなものが見えてくる。これは静岡県立小山高校の敷地を固めるコンクリート擁壁である。台地の上に上り詰めると左手に正門がある。ここが横山遺跡の現場で校庭のグランド部分が遺跡部にあたる。

横山地区入口 静岡県立小山高校(横山遺跡)

ここには一枚の案内板以外、遺跡であることを示すものは何もない。しかし地形を見ると御殿場方向は真っ平だが北方、東方は断崖である。これは相模から暴徒が侵入する場合、ここで防衛ができることを示している。この遺跡は古墳時代に始まり平安時代に終わる長く続いた古代人の生活の場である。この遺跡集落は交易集落と見られているが、律令時代以降、横走駅家が設けられたのではないかとも考えられている。駅家があったとしても平安初期には廃絶したと考えられるが、その後、平将門の乱をうけ坂東から侵入する暴徒から駿河国を防衛するために、新たにこの地に横走関が設けられたと筆者は推測する。

 高校の西南角に面する道路から見る富士山は素晴らしい。すぐ目の前にはあしがら温泉という町営浴場もあるので、時間があれば訪れてみたいスポットである。

小山高校前から御殿場まではこの足柄街道(78号線)を南下するだけである。晴れている日は右手に雄大な富士山がみえる。大きな起伏はほとんどなく気持ちの良い街道歩きを楽しめる。途中、深澤城跡への入り口があるが、今回はパスする。戦国時代、武田、北条が争った最前線である。

深澤城跡入口

市街地に入り御殿場バイパスと交差する所から道は名前が394号線に変わる。御殿場の繁華街に入り箱根裏街道(401号)と交差する所が「湯沢」の交差点である。 ここで、本来の目的から外れるが鎌倉時代、承久の乱に連座して処刑された藤原(葉室)宗行卿の終焉の地、藍沢神社に立ち寄る。当時は街道から外れた野原の中に、護送中の囚人を泊める牢場と呼ばれる施設があったらしい。現在ではJR御殿場駅から10分程の市街地の中だが、往時はどことも知れぬ寂しい小川に面した野原であった。僅かな役人の見守る中、首を打たれた宗行卿の胸中は如何ばかりであったろうか。



藍沢神社

街道に戻り、駅西出口前の新橋浅間神社に詣でる。 街道筋には寺社が多く、古社ではないが永原大神宮という大きな社もある。更に南下を続けると前方に東名高速道路の高架が見えてくる。パチンコABCの看板のところで、クインテッセンス御殿場マンション(御殿場市川島田6-2)前から右折する。

永原大神宮 川島田




この道はほぼ富士裾野の等高線に沿った道である。ここから、しばし裾野バイパス(246号線)に出るまで、のどかな街道歩きとなる。右手には富士山が見え、どこも絵になる風景である。


御殿場市竈から望む富士山


1.6㎞ほども行くと、すみれ保育園が見えてくるので、その辺りからバイパスに上がり国道の歩道を歩く。「神場東」の交差点から県道155号線に乗り換え更に南下する。


神場東交差点


東名高速と裾野バイパスが交差する「矢場居」交差点から先は農道を歩くことになる。この裾野バイパスと東名高速に挟まれた区間は、その建設工事の際に土地整理が行われたらしく、古道らしきものはない。しかし、かつてこの辺りに古道が通っていたことは沿道の道路脇に集積された墓石や、庚申塔らしき石塔群で想像できる。


道祖神


約1㎞でこの道が尽きるので東側を並走している裾野バイパスを横断し(久保前交差点)ここからバイパスの東側を歩く。この辺りが駒門地区である。有名な駒門風穴があるが、今回は先を急ぐので案内板を一瞥して通過する。


駒門風穴 自衛隊駒門駐屯地北門


道は陸上自衛隊駒門駐屯地にぶつかる(駐屯地北門)。道は構内をまっすぐ南下しているが、立ち入りはできないので駐屯地の周りをぐるっと迂回して南門に出る。


駐屯地内街道 自衛隊駒形駐屯地南門


ひたすら南に下ると再び裾野バイパスにぶつかる(「兎島」交差点)。ここからはバイパスの歩道を歩くしかない。


愛鷹山の裾野を廻る


この辺りの古道はバイパスに吸収されてしまい消滅したようだ。兎島交差点から2㎞程バイパスを歩くと前方にトヨタ自動車東日本東富士工場の建屋が見えてくる。


トヨタ自動車東日本


古道は山麓をまっすぐに突っ切り、工場の西側を通っていたと思われるが、工場敷地のため迂回せざるを得ない。


裾野IC入口 トヨタ自動車前


バイパスをそのまま進み裾野I.C入口交差点迄進み右折する。500m程進むと、道の左側にセブンイレブンが見えてくる。そのすぐ手前にある細い道がおそらく古道である。


古道入口


この道は南に向かって、ゆるやかに下る道である。途中、矢崎ケアセンター、東名裾野病院を経由し「市営総合グランド東」交差点に出るが更に南に向かって下る。道は少し黄瀬川に沿って続くがアレンジメントケア裾野(裾野市御宿2-1)のところで二股に分かれる。


右手(西側)の道をひたすら道なりに南に進み県道24号線に出る(「御宿平山西」交差点)。


交差点を越えてすぐ右手に荘園寺(裾野市御宿296)がある。


24号線を更に南下すると3体の石仏に並んで普明寺というバス停が見える。バス停の先から普明寺を示す案内板の指示に従って右折すると200m先に曹洞宗の古刹、普明寺(裾野市千福387)がある。この寺は信玄ゆかりの寺とのことだ。寺の裏山に戦国時代の千福城跡がある。時間の都合で拝観せず通過する。


普明寺バス停 普明寺入口

普明寺


東名高速道のガードをくぐり佐野川を渡る。山沿いの道を進み再び佐野川を渡り東名高速のガードをくぐり裾野バイパス(国道246号)に出る(「千福南」の信号)。振り返ってみれば普明寺の先で東名のガードをくぐらず東名の高架下を歩いてバイパスに出ればよかった。


バイパスを横断し三菱マテリアルCMIの前を川に向かって下り中央公園にぶつかり、フェンスに沿って南下を続ける。これから黄瀬川沿いの道を進む。


黄瀬川

裾野市桃園地区を通過し、富沢で裾野バイパスのガード下をくぐり市道を進む。「富沢南」で再び裾野バイパスにぶつかり、これから先は古道はおろか旧道の痕跡も明らかでないのでバイパスの歩道を歩くことになる。これから先はひたすらバイパス(国道246号)を長泉に向かって歩く。約3㎞歩くと左手にトイザラスが見えてくる( 静岡県駿東郡長泉町下長窪1076-1)。

トイザラスと同じ敷地の端に大戸屋、モスバーガーがあるが、その先にバイパスを横断する立体交差道路が見え、そこに上がる石段がある。


トイザラス脇石段

これを登ると長久保城跡、城山公園だ。案内板によると中世に築かれ、戦略上の要地であったため、今川、武田、北条が支配権を争ったとある。城は江戸初期に廃城になり、遺構も開発により一部を残しほとんど消滅しているという。現在この地には城山神社がある。


城山神社


 鳥居から、約100mの所に目的地の当サイトの” 永倉駅推定地”がある。問題の方形土地区画を一回りしてみたが、地上を歩いた限りでは、現在この地には数軒のお宅と畑があるだけで普通のご町内の路地と変わる所はなく、『駅家』跡だと思わせるものは何もない。


永倉駅家候補地 永倉駅家候補地2


以上足柄街道踏査記終わり

 

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