更級日記の東海道の旅をもとに平安時代の古地形や文献で平安時代日本を再現
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遠江の日記(平安時代の僧、増基の紀行文)

遠江の日記(平安時代の僧、増基の紀行文)
記事コード: doc_42
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  『いほぬし(庵主)』とは平安時代の僧、増基の紀行文、作歌をまとめた家集。内容は「遠江の日記」、熊野紀行」「雑纂家集(歌集)」の三篇からなる。『いほぬし』は熊野紀行につけられた書名だったが、後世に他の二編が加えられ一書になったらしい。『遠江の日記』は次に述べるように平安時代一条天皇の御代(986-1011)に書かれた可能性が高い。すなわち枕草子、源氏物語と同時代の作品である。その意味で、短い旅行記であるが更級日記と共に平安時代中期の旅を垣間見せてくれる”かな”で書かれた貴重な作品である。増基は所用で遠江に3月10日に都を出立し、3月18日頃、遠江(おそらく引馬、現在の浜松市)に到着、9月11日に帰路に就いた。少なくとも往路は馬を使った。

本記事は増淵勝一著『いほぬし精講』(国研出版)によりまとめた。


(1)増基の人物像


  増基は平安時代中期の僧、歌人。詳しい経歴はわからない。村上天皇の御代、天暦10年(956)に詠んだ歌があること、一条左大臣源雅信(920-993)の知遇、庇護を受けていたらしい事、『遠江の日記』の後の『熊野紀行』執筆が故殿と呼ばれた雅信の死後のことであることから正暦4年(994)~長保元年(999)の間であることから十世紀後半を生きていたと推察される。また慶滋保胤(1002年没)とともに二中歴に記載があることからも、彼と同時代の文人であったことがわかる。


以下引用(本文のみ)p231~328


(2)遠江の記原文


これは「遠江の日記」

  三月十日、あづまへまかるに、つつみて相見ぬ人を思ふ。都出づるけふばかりだにはつかにも相見で人に別れにしかば粟田寺にて京をかへりみて。

都のみかえりみられしあづま路に駒の心にまかせてぞゆく

関山のほとりにて。

関水にまた衣手は濡れにけりふたむすびだに飲まぬ心に

人の、「とう下りね」といひしを、関出づるほどに、思ひ出でて。

憂かりける身は東路の関守も思ひ顔してとどめざりけり

岡田の原といふ所をめぐるに。

憂き名のみ生ひ出づるものをひばり上がる岡田の原を見捨ててぞゆく
鏡山の峰に雲ののぼるを。

鏡山入るとて見つるわが身には憂きよりほかのことなかりけり

暁に、きじの鳴くを。

住みなれの野辺におのれは妻と寝て旅ゆく顔に鳴くきぎすかな

はるかに比叡の山を見て、<あすよりは隠れぬべし>と思ひて。

けふばかり霞まざらなむあかで行く都の山をあれとだに見む

昔、籠りて、行なひ侍りし山寺の、火に焼けて、ありしにもあらずなりて、庵室の前にありし山吹の、草の中にまじりて、ところどころあるを。

あだなりと見るみる植ゑし山吹の花の色しも変らざりけり

山吹のしるしばかりもなかりせばいづこを住みし里と知らまし


そこよりくだるに、日暮れぬ。語らひし聖のあるところにまかりたれば、その人は死にけり。もろともに始め侍りし「普賢講行ふ」とて、人々あまた侍れど、見も知らぬ人なり。人を呼び出していふ。

われを問ふ人こそなけれ昔見し都の月は思ひ出づらむ

また、「こと人々のさるべきも、亡くなりにけり」と聞きて。

なぞもかく見と見し人は消えにしを甲斐なき身しもなにとまりけむ

洲股の渡りにて、雨に会ひて、その夜やがてそこに泊まりて侍るに、駒どもあまた見ゆ。
沢に住む駒欲しからぬ道に出でて日暮らし袖を濡らしつるかな

尾張、鳴海の浦にて。

かひなきはなほ人知れず逢ふことの遥かなるみのうらみなりけり

二村山にて、つつじのはるばると咲きて侍るに。

唐国の虹なりとても較べ見む二村山の錦には似じ

その夜国府(こふ)に泊まる。この折、しのをかに人々泊まりて、「きたな」といふべきにもあらず。柏木の下に幕引きて、宿り侍りて、人知れず思ふこと多う侍るに、暁方に。

寝らるやと臥しみつれども草枕有明の月も西に見えたり

然菅の渡りにて、渡し守のいみじう濡れたるを。

旅人の年も見えねどしかすがにみなれて見ゆる渡し守かな

宮路山の藤の花を。

紫の雲と見つるは宮地山名高き藤の咲けるなりけり

高師山にて、「陶杯(すえつき)作る所」と聞きて。

鶴ならぬたかしの山の陶作りもの思ひをぞやくとすと聞

浜名の橋のもとにて。

人知れず浜名の橋のうち渡し嘆きぞわたるいく夜なき世を

橋のこぼれたるを。

中絶えて渡しも果てぬものゆゑに何に浜名の橋も見せけむ

まかりつきてのち、雨の降り侍りにければ、かくおぼえ侍る。

誰にいはむひまなきころのながめ降るもの思ふ人のやどりからかと

(以下中略)

(帰路)

なほ出でて、(九月)十一日浜名の橋のもとに泊まりて、月のいとおもしろきを見侍りて。

うつしもて心静かに見るべきをうたても浪の立ち騒ぐかな

夜ふけて、鹿の鳴くに。

高師山松の梢に吹く風の身にしむときぞ鹿もなきける


  移ろひする所に、祝ひの心を。

君が代は鳴尾の浦に波立てる松の千年(ちとせ)ぞ数に集めむ


この前に鳴尾の濱といふ所の侍るなり。さてその松は見え侍りしなり、とぞ。

以上引用終わり

 

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