更級日記の東海道の旅をもとに平安時代の古地形や文献で平安時代日本を再現
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尾張時代の赤染衛門

尾張時代の赤染衛門

  やすらはで寝なましものを小夜更けてかたぶくまでの月を見しかな(後拾遺集)

百人一首に赤染衛門の歌として採録されているが、別人の作とも、赤染衛門が誰かのために代作したものだという説もある。しかし彼女が高名な歌人であり多くの歌を残していることに変わりはない。彼女は一条天皇の御代、中宮彰子に仕えた。紫式部、和泉式部とほぼ同じ時期に活躍した。更級日記の作者の父、菅原孝標とも同世代で顔見知りであった可能性が高い。


彼女は大江匤衡と結婚し夫と共に長保3年(1001)に任国の尾張に旅立つ。その時の旅と尾張での様子は平安時代中期の数少ない同時代記録として重要である。特に注目すべき内容は以下の通りである。



(1)都から尾張までの旅行経路

大江匤衡と赤染衛門一行は都から尾張国府への旅の経路として舟運を利用し歩く距離を最短にしている。

京都→大津…(袋懸)…愛知川…朝妻→杭瀬川…馬津→尾張国府(…舟)

この旅で愛知(えち)川で仮屋に、朝妻で源頼光の別荘、杭瀬川河畔に宿泊し、出発から十日で到着している。

(2)貴族と庶民の協調関係

旅の途中で地元民が地引網や鵜飼漁の実演、氷魚(鮎)の差し入れ等、しっかり機会を逃がさず稼いでいる逞しさがうかがえる。地引網や鵜飼の実演など旅行者の方から依頼した訳ではないので報酬を支払う義理などないのだが、そこは貴族としての鷹揚さでたっぷりご祝儀をはずんだのであろう。そういう習わしだったのだ。
(3)諸国間の通信事情

尾張滞在中、赤染衛門は都の知己と頻繁に文通していたことがわかる。和泉式部の男女関係について、心配して手紙を送っているが、さほど時を置かず返信が帰ってきているところを見れば、千年前の社会にしてはそれほどの不便はなかったように思える。


  『赤染衛門集全釈』p.149~p.184 関根慶子他(風間書房)

原文と現代語訳を上記著作から抽出して示した。




赤染衛門集、尾張時代の記


  長保三年七月一日(グレゴリオ暦1001年7月29日)

尾張にくだりしに、七月朔日ころにて、わりのう暑かりしかば、逢坂の関にて、し水もとにすずむとて

越えはてばみやこも遠くなりぬべし関の夕風しばしすずまん

大津に泊まりたるに、

「網引かせて見せん」とて、まだ暗きよりおりたちたるをのこどもの、あはれにみえしに

朝ぼらけ下せる網の綱見れば苦し気に引く技にありける

それより、舟に乗りぬ。ふくろかけといふ所にて

いかにして思ひいりけんたよりなき山のふくろのあはれなるかな


七日、愛知川といふところに、行き着きぬ。岸に仮屋作りておりたるに、ようさり、月いとあかう、浪音たかうてをかしきに、人は寝たるに、一人目覚めて

ひこほしは天の川門に船出しぬ旅の空にはたれを待たまし


またの日、朝妻といふ所に泊まる。その夜、風いたう吹き、雨いみじう降りて漏らぬ所なし。頼光が所なりけり。壁にかきつけし

草枕露をだにこそ思ひしかたがふるやとぞ雨もとまらぬ

水まさりて、そこに二三日ある程に、ひを(氷魚)を得て来たる人あり。「このごろは、いかであるぞ」と問ふめれば、「水まさりては、かくなん侍る」といへば

あじろかと見ゆる入り江の水ふかみ日を経る旅の道にもあるかな


それより、くひせ河といふところに泊まりて、夜、鵜かふを見て

夕闇の鵜舟にともすかがり火を水なる月の影かとぞみる




又、むまづ(馬津)といふ所に泊まる。夜、仮屋にしばしおりて涼むに、小舟にをのこ二人ばかり乗りて、漕ぎわたるを「何するぞ」ととへば「ひやかなるをもゐ汲みに沖へまかるぞ」といふ。

おきなかの水はいとどやぬるからんことはまなゐを人の汲めかし


長保三年七月十日(グレゴリオ暦1001年8月7日)

「京いでて、九日にこそなりにけれ」といひて、守
みやこ出でて今日ここぬか(九日)になりにけり

とありしかば

とをかのくに(遠彼の国、十日の国)にいたりにしかな


国にて、春、熱田の宮といふ所にまうでて、道に、うぐいすのいたう啼く森を問はすれば、「なかの森となんまうす」といふに

鶯の聲するほどは急がれずまだ道中(みちなか)の森といへども

まうで着きて見れば、いとど、神さび、おもしろき所のさまなり。あそびしてたてまつるに、風にたぐひて、ものの音(ね)ども、いとどをかし

笛の音に神の心やたよるらん杜の木風も吹きまさるなり


其の頃、国人はらたつことありて、「田もつくらじ。種とりあげほしてん」といふとききて、また、ますだの御社といふところに、まうでたりしに、神にまうさせし

しづのをのたねほすといふ春の田をつくりますだの神にまかせん

かくてのち、田みなつくりてきとぞ


和泉式部と道貞と仲たがひて、帥の宮にまゐると聞きて、やりし

うつろわでしばししのだの森を見よかへりもぞする葛のうら風

返し 式部

あき風はすごく吹くとも葛の葉のうらみがほには見えじとぞ思ふ

「道貞、みちのくにになりぬ」と聞きて、和泉式部にやりし

行く人もとまるもいかに思ふらん別れてのちのまたのわかれは

返し 式部

別れても同じ都にありしかばいとこのたびの心地やはせし

道貞くだるとて、みちなれば、尾張にきて物がたりなどして、「かく、はるかにまかる事の心ぼそき事」などいひて、かへりぬるに、さるべき物などやるとて

ここをただ行かたのとは思はなんこれよりみちの奥遠とほくとも

いざさらばなるみの浦に家ゐせんいとはるかなるすゑのまつとも

一条院にさぶらひし左京の命婦、いづみのかみのめにて、くだるがいひたる

都路の心もしるくしをりして君だにあるとおもふみちかな

返し

しかるともたれか思ひし山みちに君しも跡を尋ねけるかな

又これより、「いかでみづから」などいひて

あはじてふみちにだにこそあふと聞けただにて過ぎん人のつらさよ

返し 命婦

山をだに思ひへだてぬ道なればこれよりすぎん心ちやはする
秋の野をあるきし、さが野にもおとらず見えしかば

花の色は都の野辺にあらねどもいづこも秋のさがにざりける
又すすきのみおほかる野にて、いとうまねきしに

いづかたに行きとまらまし花すすき遠(をち)にもまねく近(こち)かともみゆ

野ちかき所に夜とまりたるに、虫のいたうなきしに

一夜だに明かしわびぬる秋のよになくなくすぐす虫ぞかなしき

挙周(たかちか)、雅致(まさむね)がむすめに物いひそめて、ほどもなう、御嶽にまうでて、かへりては、京にしてしばしもなくて、くだりたりしかば、いみじくてやらせし

心にもあらでぞなげくよしの山君をみたけの程なかりしを

またのちに

出(いで)てこしみちのまにまに花薄(はなすすき)まねく宿のみかへりみぞせし

かへし、姉のいづみしきぶ

とまるべき心ならねば花すすきただあきゆくとまかせてぞみる

もとありける所」、美作(みまさか)になりてゆく。ともにまかるとて京へいくを、「ほいなうやおもふ」といひし女房に

契りけんむかしはここのなかなればくめのさら山さらにうらみん

又女房のをとこの、京へのぼりたるに、文をおこせたるにいはせし

いずくまで思ひか出でしいまはとて忘れゆきけんみちぞゆかしき

同じ国にて、又女房の人にものいひたるつとめて、「関越えて」などいひたるかへしにかはりて

行きちがふ関のこなたぞなげかしきいかに鳴海(なるみ)の浦ぞと思へば

三河のかみすけただ、くだる道にてしばしゐて、わかき人の方にあふぎおこせて

あふさかと猶たのみてぞ人知れず心をよせて君にまかする

かへし、かはりて

あだ人の行くてにならすあふぎかな風たつべくもあらぬところに

任はててのぼりしが、あはれにて

心だにとまらぬかりの宿なれどいまはと思ふはあはれなりけり



現代語訳


  尾張へ下向したところ、七月一日のころで、どうにも暑かったので、逢坂の関で清水のほとりに涼を求めて

(歌意)逢坂の関を越えてしまうと、都も遠くなってしまうに違いない。この関の夕風に、いましばらく涼むとしよう。

大津に宿泊したところ、「地引網を引かせてご覧にいれましょう」といって、まだ夜の明けないうちから湖の中へ入っていった漁師たちが、気の毒に思われたので

(歌意)  朝ほのかに明るくなったころ、湖の中に入れた地引網の引き綱を見ると、まあ、なんと骨折って引く漁法であったことよ。
そこから舟に乗った。ふくろかけという所で

(歌意)  どのようにして、心に深い思いを抱いて入った物なのかしら。よるべもない山ふところ(にまします観音様のこと)がせつなく思われることよ。

七日、愛知(えち)川という所に到着した。川岸に仮屋を設けて、下船したが、夜、月がたいそう明るく波音も高くて趣があったのでほかの人は寝ていのたが自分だけは、目が冴えて、
(歌意)  (今宵は、七月七日)彦星は織姫のもとへと天の川門に舟をだしたことだ。だが、旅の途中にあっては、自分は一体、だれを待とうか。待つ人もない。

翌日、朝妻というところに泊まった。その夜、風が激しく吹き、雨もひどく降って、いたるところ雨漏りがした。そこは、頼光が所有する家であったのだ。そこで壁に書き記した。

(歌意)  歌旅にあっては、露に濡れることだけを懸念していたのに、誰の古屋と言って、雨もとまらないのか。この雨漏りは、なんたることよ。

(雨のため)増水して、そこに二、三日滞在している間に、氷魚をとって持って来てくれた人があった。「今ごろ、どうして氷魚がとれるのか」と尋ねるようだったが、「増水した時は、取れるのでございます」と答えるので

(歌意)  網代をかけたかとみえるほど、入り江の水が深いので、足止めをくって、出発できずに、日を送る旅の道中ですよ。

そこから、杭瀬川という所に泊まって、夜、鵜飼をするのを見て

(歌意)  夕闇の鵜舟にかかげる篝火を、水に映った月の光かと見ましたよ。

また、馬津という所に泊まった。夜、仮屋にしばらくおりて涼んでいると、小さな舟に、男が二人ほど乗って漕いで行くのを、「何をするのですか」と尋ねると、「冷たい飲み水を汲もうと、沖の方へまいるのですよ」と答えた。

(歌意)  沖の中の水は熾(おき)の中とて、もしかすると一だんと生ぬるいものでありましょう。同じことなら、お前さんたちよ、井のなかの水を汲みなさいまし。

「都を立って九日になってしまったことだな」と言って守(大江匤衡)

(歌意上句)  都を出て、今日は九日になってしまったなあ。

とあったので

(歌意下句)  遠い彼の国(十日の国)に到着致しましたわねえ。

任国で、春、熱田の宮という所に参詣して、その途中、鶯がたいそうなく森を尋ねさせると、「中の杜ともうします」というので

(歌意)  鶯の鳴き声のする間は、先を急ぐという気になりません。まだ道中半ばの杜とはいっても(中の杜で、鳴き声を聞いてゆきましょう。

熱田の宮に参り着いてみると、たいそうおごそかで、趣のある所の様子である。神前で、管弦を奏して供すると、風と一緒になって、楽器の奏でる音色がひときわ美しい

(歌意)  笛の音に神様のお心がのりうつられているのであろうか。森の中をわたる風も、いちだんとまして吹いているように聞こえることだ。

その当時、尾張の国の民が、立腹する事情があって、「田もつくるまい。種子も奪い取って干してしまおう」と言っていると聞いて、又、真清田の御社という所に参詣したので、神様に申し上げさせた歌

(歌意)  賤の男が、種を干すと言っていますが、春の田をお作りになる真清田の神様にお任せ申し上げましょう。このようなことのあった後、田をみな耕したということです。

和泉式部と道貞とうまくいかなくなって、(和泉式部が)帥の宮のもとへ参上すると聞いて、つかわした歌

(帥の宮の方へと)心変わりしないで、いましばらくがまんして、信田の森(道貞のこと)をごらんなさい。蔦の葉が風によって裏返しになるように、ひょっとして、道貞が帰ってくるかもしれませんよ。

「道貞が陸奥守になった」と聞いて、和泉式部にやった歌

任国へ行く人も、都に留まる人も、心中、どのように思っているのでしょうか。夫婦別れした上に、なお、転任で離れ離れになる別れのことは。

かえし 式部

(歌意)  夫婦の仲は切れても、これまで同じ京のうちに居たので、ほんに、今度のような思いをしたでしょうか、しませんでした。

道貞が、陸奥国へ下向する際、当地はその通り道にあたるので、尾張へ来て物語などして、「このように遥々と都を離れることの心細いことよ」などと言って、帰った時に、しかるべき品などを与えて、

(歌意)  この地を、ひたすらに、「行く先の終わり」とお思い下さい。これから先の道が遠いといっても。

返し 道貞

(歌意)  よし、それならば、鳴海の浦に住まいを作って住みましょう。ずっと遠くの末の松山が待っていようとも一条院にお仕えしていた左京の命婦で、和泉守の妻となって任国へ下る人が、いってよこした歌

  都を離れがたい心で、道中はっきりと道しるべをして、あなたでさえも遠い尾張にいらっしゃるのだからと、思いながら、歩いていく道なのです。

返し

(歌意)  道しるべをしても誰が思ったでしょうか。この山道にあなたがまあ、わざわざ跡を尋ねて手紙をくださるなんて。

またこちらから、「なんとかして自信でお会いしたい」などといって

(歌意)  会うまいという名の淡路へ行く道でさえも、人は会うとききます。わたしに会いもしないで直接行こうとなさる、あなたは薄情なことです。

(歌意)  山をさへも二人の思いは隔てない道なのですから、ここから、黙って過ぎていってしまう心地などするでしょうか。

(尾張の)秋の野を散策しましたが、嵯峨野にも劣らず見事

だったので

(歌意)  ここは都の野辺ではないけれど、花の色はどこも同じ秋の風情です。

またすすきばかり多い野原で穂がしきりに招いたので、

(歌意)  どちらの方向に行って休もうかしら。すすきが遠くでも近くでも招いているので。

野に近い所による泊まったところ、昔がさかんに鳴いていたので

(歌意)  一夜さへもあかしわびている秋の長夜に、毎晩ないてすごす虫は、思えば悲しいことです。

挙周が雅致の娘と交際をしはじめて、間もなく御嶽に詣でて、帰ってからは、京にしばらくもいないで、地方へ下っていったので、気の毒に思って送らせた歌

(歌意)  吉野山の御嶽詣でで、心ならずも会えなくて嘆いています。あなたを見てまだ間もなかったのに。

またあとで

(歌意)  あなたの所から帰ってきた道々、すすきが招いていたので、それにつけてもあなたが招いている家の方ばかり、振り返ってみました。

かえし、姉の和泉式部

(歌意)  あなたは、わたしの所に留まるお心ではないのでただ過ぎゆく秋とともに飽きてゆくのだなあと、なりゆきにまかせて見ています。

もと一緒に住んでいて所の人が、美作の役人になって行く。その人と一緒に任国へ下るといって京へ行くのを、「(わたしが京へ帰るのを)残念に思いますか」と言った女房に
むかしあなた方が夫婦の約束をしたときは我が家にとってなくてはならない仲だったのですから、二人して久米の佐良山なんかに行ってしまったら、一層うらみます

又女房の夫が京へ上へのぼって、手紙をよこしたのに、返事をさせた歌

  どの辺りまでわたしを思い出してくれたのでしょう。今はこれまでといって、忘れて行ってしまったであろう道が知りたいもです。

同じおわりの国で、また女房がある人と親しくなった翌朝、男のきぬぎぬの文に「関越えて」などと書いてあった返事をするのに代わって

(歌意)  あなたと行き違って逢えずに関のこちら側にいるわたし嘆かわしいとです。どうなっていく身の上なのだろうと思うと。

三河の守輔公が任国へ下る途中で、しばらく滞在して、若い人の所に扇をよこして
(歌意)  逢ってくれる気があるのかなあと、それでも頼みにして、人知れず心を寄せ、あなたがその気になるのを待っています。

かえし、代わって

(歌意)  浮気男の行く先々で使い馴らす扇なんですね。風が立つはずもない所によこしたりして。(おめにかかる気はいたしません

任期が終わって都に上ることになったが、感慨深くて

(歌意)  身は勿論のこと、心さえも留まらない仮の宿ですが、いよいよお別れと思うと、やはり感にたえない気がします。

 

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