『尾張国郡司百姓等解』31ヶ条の現代語訳
『尾張国郡司百姓等解』文は平安時代中期、永延2年(988年)尾張国司藤原元命の非法合法の苛酷な徴税と、さらに元命の係累、郎従による暴力行為に耐えかねた、郡司・有力農民が国司の解任を求めたものである。この時代、このような愁訴はいくつも発生しているが、訴状が完本で残された唯一の例として取り上げられる。訴状は31ヶ条からなり、内容は二つの意味で難解である。一つは漢文そのものの解釈、もう一つは当時の経済システムの理解が十分でないことがある。原文の解釈については阿部猛氏の『尾張国解文の研究』(新生社、1971年)で詳細な注釈がなされ、研究者でなくても意味を取れるようになった。ただ、書き下し文にとどめてあるので、一読して頭に入るものではない。ではあるが、この解文は平安時代中期「王朝国家体制」下の経済構造を知る上で非常に重要な内容を含んでいる。これが書かれたのは更級日記作者の父、菅原孝標の少年時代で、彼らの生きた時代とほぼ重なる。その意味で、本解文はこの時代の地方政治の実態をうかがうのに格好の同時代史料である。漢文原典(訓点付き)はこちら
以下に浅学を顧みず、阿部猛、尾張国郡司百姓等解、書き下し文をテキストに現代語訳を試みた。書き下し文には便宜のため、原文にはない「第1条」等が挿入されている。量目の数字はアラビア数字に直した。現代にない仏教行事、因縁、その他、訳しにくいものは現代風に意訳している。不明の部分はテキスト参照の事。
尾張国郡司百姓廨文の現代語訳
第1条
一、通常の出挙以外に、この三箇年の納税で、不当に正税43万1248束分に課かる利息129374束4把1分を加徴した件につきご裁断をお願いします
上記正税本穎の式数は472400束です。減省(減額)分を除くと246110束と、はっきりと税帳(課税台帳)にあります。これ(出挙)は朝廷を助け、民の頼りにもなるものです。しかしながら疲弊した民は正税の負担にあえぎ田んぼを耕しません。富裕な者はいい田んぼを持っているので正税(公廨稲の出挙)を申請しません。公の利益を考えて同じ息利、73863束を国内の優良田に課していたのですが、(尾張の)守元命朝臣はこの三箇年、頻繁に税を取り立て、その数は数えることもできません。このため困窮している者がわずかでもお納めしても、ある場合は現物納付だとか、まだ納付していないと、不当に多くの財物を奪っています。この責め立てのため人民は逃げ出し、何度も騒ぎが起こり、村々は穏やかではありません。そればかりか、(元命の)郎従たちは雲のように国内に満ちあふれ、屠殺人のような連中が蜂のように国府の周りに移り住んでいます。この者たちは都から遠く離れていても都(の生活)が忘れられずこの国の産物を食い漁るのです。このために郡司は精神的に参り、民はなす術を知りません。また(元命は)万民を撫育することを忘れ、ただ、自分の利益しか頭にありません。このように苦しみながら時が過ぎているのに、(元命は)それを理解しようともせず、(一方民は)国司様の権威に遠慮し、黙り込み最後には身の置き所を失い他国に流浪しようとしています。このため国司は富み、国は貧しく、物はなくなり、民も居なくなります。災害が起こるのはこのために違いありません。元命朝臣をやめさせ、良い国司を任命していただき、人民が逃げ出すこと事のないよう、ご裁断をお願いいたします。
<参考>
式数:延喜式に決められた課税額
減省:出挙稲は種々の原因で目減り(ねずみの害、腐敗など)する。その目減り分
第1条において領民は何に怒っているのか?
元命の悪行は規定を越えた実質出挙利息である。
尾張国の田租(正税)は472400束である。これから減省(225000束)という額を除いた分(246110束)を種籾を持たない農民に出挙として貸出す。その利率は30%とされている。ところが尾張の守元命は、その定例の出挙の他に3年で431248束の出挙を行なわず利息分の129374束だけを徴収した。
①例挙
472400(正税式数)-減省=246110(出挙原資)
出挙利息246110×0.3=73863
②追加の出挙
431248(追加分原資)×0.3=129374.4…3年分
実際には追加分の原資は貸し出さず利息だけ徴収
領民が支払った利息は1年あたり
73863+43101=116961
利息/出挙額=116961/246110=0.48
領民が怒っているのは、尾張守が追加出挙分を力田(富裕農民の田)にかけたこと。
※ここには書かれていないが例挙も「北山抄」によれば実際の種籾(穎稲)貸出しはなく利稲のみを収納していたという
※実態のない出挙は認められていたので、必ずしも違法行為ではない。ただ抵抗する力のない弱い農民から取り立てたことが問題。
※追加の出挙は必要だったのか。事業経費などでなく、私服を肥やすために利息を取るためだけだったのなら搾取
③領民の実際の納税額(尾張国全体)
正税:431248
例挙利息:73863
加徴出挙:116961
合計納付額:622072束
10世紀半ばにはどこにも公出挙の実態はなく、地税化していたが、建前は残っていた。(村井康彦:古代国家解体過程の研究、p26、岩波書店)
第2条
一、租税田・地子田を区別せず一律に租税田に準じて官物を賦課されている件につき、官符の主旨に従うよう裁決をお願いします
上記二種類の田は省符の通りに税を徴収すべきなのに、不法にも租税田に準じて課税され、農民としては困り果てています。このため、国司は富み民は貧しくなり、芳香と悪臭の作物の畝が混在し、政治は濁り、(民の)涙は澄み、涇水(けいすい)と渭水(いすい)は流れを異にします。規定通りの扱いをしていただくようお願いします。
<参考>
地子田とは国衙から委託され小作している田で、地子とは小作料である。田の所有者は国であり、それに対する正税官物を小作者が払ういわれはない。それは省符で通達されているという。
第3条
一、官法で定められた外に、一反当たり祖穀を3斗6升を意のままに追加徴収していることにつき裁断をお願いします
上記、祖穀官法にも限度というものがあります。これまでの国司はいくら不作で困っていることを訴えても、お構いなく一方的に決めた税額を持っていきます。ある国司は1斗5升を、ある国司は2斗以下を徴収しますが、現在の国司、元命朝臣のように3斗6升も徴収されたことはありません。そもそも政(まつりごと)をなすのは崩れやすい魚を煮るようなものです。民に優しくする心があれば雉でも馴らすことができますが、春の植え付けを邪魔し民が逃げ出すようなことをしている受領にはとてもそんなことはできません。なかんずく、地方の国司はひたすら農業を振興し、もし、春の苗代作業や畝を作る日にぶらぶらしている者がいても、やんわりと注意し、努力して成果を上げたものには王丹の酒のように顕彰しなければなりません。ところが毎年四、五月の農事の忙しい時期になると手先を村々に派遣し、昨年渡した交易雑物の代価の稲穀をすぐ籾摺りして渡せというので、農家は鋤を放り出し耕作もままならず、蚕を飼っている女性たちは桑の手入れも忘れ、生糸づくりにかかりっきりにならざるを得ません。これでは住民が困窮するだけでなく、円滑に納税を進めて行くこともできません。元命朝臣をやめさせ良い国司の任命をお願いします。
<参考>
交易(きょうやく):代価(稲など)を払って、国庁が中央に進上する物品のうち地元で揃わないものを購入すること
定められた本来の祖穀は1束5把(7.5升)なのに、これに1.5~2斗が加徴されてきた。元命になると更にそれを大きく上回る3.6斗が課された。
穀は籾摺りして玄米で納税するので手間がかかる。
第4条
一、尾張の守元命朝臣が正税利稲の外に理由なく徴収している稲の事につきご裁断ください
上記、正税利稲の外に1反当たり2束8把を加徴していますが累積すると大変な額です。そもそも、この田に一定の率(田率)でかける稲を臨時の公用に使わず私的に使ったり、交易の原資に充てたりあるいは、搗いて京の私宅に運んでいます。こんなことをしているので人々の出費は増えるばかりで、または官に納めているようにも見えません。昨日まで他国の問題と考えていましたが、今日は我国の責めとなっています。この状況だと国内は荒れ人々の困窮は極まっています。この旨をお調べいただき不当な加徴をやめるようご裁決ください。
<参考>
率稲:田の面積でかける税率
第5条
一、官法に定められている外に加徴している租税・地子、反当たり穎稲換算13束につきご裁断ください
考えますのに、官法に定める税率(例数率分官法)の例には制限があります。これまでの国司は正税の、息利、祖穀の率稲、地子などについて徴収する額は10束であったり8、9束であります。ところが(尾張の)当任の守、元命朝臣は一年あたり段別13束2把を徴収しています。つまり、一国全体で集計すれば、それは100万束に及びます。今、正税官物と私用を並べて比較しますと百対一です。そもそも問題の率分加徴物は、或物は米につかせて都に運ばせ、或物は交易品である絹・布・糸・綿、漆、油に替えて納付させます。交換率は絹は疋当たり4、5十束、手作布は8束以下、糸・綿・油・漆・苧などの値段はいくらにもなりません。従いまして徴税人が取り立てる産品、提供した食料等は本来の値の5、6倍になります。それで、耐えられる者たちは嘆きながらも差出し、納めることができない民は逃げ出します。それから、国庫に納める日には目代等が副物(そえもの…おまけ)と称して絹疋当たり2尺2寸を取ります。結局実質の絹の価格は上品で30束~40束以下、中下品に至ってはもっと少なくなります。言いがかりをつけての値引き分は既に巨額になります。これは一年だけではありません。三年の間ずっとこのようなのです。今、郡司がいなくなれば国司を誰がやりましょうか。民が生活できなくなれば、郡司はどうして公務を果たせましょうか。逃げ出した百姓を連れ戻しても万に一つです。一国が衰え荒廃し、百姓が逃げ出すのはこのようなことが原因です。出来うれば官で決められた税率を(国司に勝手に増徴させず)そのままとされんことを願います。
<参考>
例数官物率法:
第6条
一、進上する調絹の減価並びに精好の生糸について裁断ください
両 種の貢進官物の納品数は全て官帳に定められています。絹1疋に相当する田は2町4段でそこから得られる米(代米)は4石8斗であります。ところが実際に絹を納品する日には1疋相当が1町1段になっています。精好の生糸に至っては当国の良品を奪い上げ、それで私用の綾羅を織り、定例の貢進向けには他国の麁糸(粗糸)を買い上げ蓄えています。そもそも、絹で納めるのか米で納めるのかはっきりしません。ある国司は養蚕製品で徴収し、米穀で納めさせません。また別の国司は米穀を納めさせ養蚕製品を好みません。ところで元命朝臣が着任以来、(この国では)養蚕業は振るいません。これは絹の減直や、精好糸の問題の為なのです。専城の司(国司)は任に忠実であるどころか、朝廷の政の輔弼などずっとやっておりません。いわゆる国を傾ける輩、人を害する虫と言っても過言ではありません。この旨をお調べいただき、良識のある国司に改任していただくようお願いします。
<参考>
減直(げんじき):価値を低く見積もる事、減価
精好の生糸:
綾羅:
第7条
一、交易(きょうやく)と称して、絹・手作布・信濃布・麻布・漆・油・苧・茜・綿をだまし取っていることにつきご裁断ください
交易雑物等の中で、絹は官に納める数量には限度というものがあります。なのに、加徴した雑物は数千疋になろうとしています。つまり、五月中旬から始めて九月のうちに納めさせます。ここで買い取る絹の値段は(疋当たり)40、50束、手作布の値は8束以上、信濃布・麻布の値は5、6束、他の雑物の値格はいくらにもなりません。減収(官の売渡した米穀に残り)が出た場合、減直(値引き)という名目で、本来の絹・布の値段を安くさせ余分に取るのです。そればかりか取立人は多くの子分たちを引き連れ、絹1疋当たり米1石5,6斗、布なら1段当たり4,5斗を取立てゆきます。その外の雑物にたいしては本来の3,4倍以上にもなります。まして(接待に提供する)飲食、衣服代の出費は算定もできません。このような法定外の物を支払っているうちに、先祖から代々蓄えてきた財産は枯渇し、これでは子孫が生きて行くことはできません。夫婦の衣装を売り払い、愛する子供を育てることができません。思えば元命一身の貪欲のために人々の将来はなくなりました。こうして人民は眉をひそめて泣き歎き、国内で生業を持つ人々は悲しみに暮れています。どうしてこのようになったかと言えば、国司に人を得ていないためであります。ご裁断を頂き、早く無法な責め立てをやめさせていただくようお願いします。
第8条
一、代々の国司が申し送っていった、新古の未納の絹・布並びに米穀、穎稲を郡司、百姓から強奪していることにつきご裁断ください
新古の未納物は確かに税帳に載っていますが、実際には有名無実です。従って代々の国司はそれを蒸し返して徴収することはしません。なぜなら、ある負名は死んで四、五十年になり、負名は数千余人が逃げ出しているからです。それなのに当任の守、元命朝臣は昨年三月中旬から屈強の悪党を遣わし切り焼くように責め立てていますが、このようなことは、昔はなかったことです。郡司を国内の負債を負う係累と呼び、ことごとく捜索して皆持って行き、人々の家では理由のある徴収と言って、ありもしない脱税の罪をかぶせます。一、二の家に乱入する前には十、廿か所で騒動を起こしています。絹・布を納付する日には二、三倍も取ります。これが国土が寂れて行く原因です。これでは郡司・百姓は不安で暮らせないと国庁に訴えると、益々悪政はひどくなり、反省するどころか、取立人は水を得た龍のように、弱い民は巣をひっくり返された鳥のような有様になっています。お上の裁きをお願いし元命を召喚され、弱り果てた民をお救い下さい。
<参考>
第9条
守元命朝臣が三か年の間、毎月借絹と称して諸郡の絹1212疋を騙し取ること、取り立ての使いがおまけで取る土産の事につきご裁断ください
三か年の間、(尾張)八郡の中で絹を借絹と称し、或いは交易と称して脅し取っています。その件の絹は月ごとに件数を計ると、ある月は一、二度、ある月は二、三度になります。その値段は穎稲換算で1疋30束~40束です。その内訳の返抄(領収書)を出すのは僅かに1/3です。しかもその代価を未だに支払いません。そもそも問題の絹がないので、隣国で買い求めるのですが、上品の値段は6石(120束)、中下品でも5石(100束)以上します。この逆ザヤを知りながら、無理やり安い代価を押しつけます。(絹を)納品する日に返抄を出さず、代価(米穀)を払うときになると、取引がなかったことにします。そればかりか荒くれ者が連日、収納人は隔月以上にやってきて、各々持ってゆく土産の品は絹の価格を過ぎております。つまり、一疋を徴収する処では、もう一疋を取り、言うまでもなく供応衣類の出費まであるのです。(連中は)ご褒美に与かろうと互いに不法行為を競っております。思うにこれが郡を壊し国を壊す悪だくみ、民を脅かし物を掠め取るからくりなのです。御裁きを頂き、速やかに(元命を)召喚され、その上で良い国司を任命くださるよう望みます。
<参考>
第10条
一、毎年現物を支出していないのに官の帳簿に計上している、在路救民用の費用、三か年の籾150石につき、お調べの上お救いをお願いします
畏れながら物の道理を考えますに、人の父となる者が父子の意味が分からないうちに、その子を教えれば、子は子である道がわからず、その父に仕えません。国の司たるべき者が、国司の職務を全うせず、その国を治めれば、国の国たる機能がわからず、(民は)その国司を受け入れようとはしません。上の者が(下を)尊重すれば、下の者は侮らず、上が控えめであれば下は乱れません。上が下を感化することは例えれば大風が小枝をなびかすようなものです。このために、公家が在路窮民(道端で行倒れ困窮する民)のために、わざわざ祖穀を置いて施されているのです。従って、流浪している民や逃げ出した者たちが招かないのにやってくる子供のように、呼ばないのに集まってくる鳩のように、飢えた魚が餌を求めるように集まってきます、それは疲れた馬が立ちならんでいるのと同じです。しかし、尾張の守、元命朝臣はただ、都の自宅に貯えを作る事だけを考えて、いまだに、(救恤用の)祖穀を置いておりません。恐れ多くも国司に任命され、どうして、飢えた者たちの食料を奪うのでしょうか。そのため連れ合いをなくした独り身の老人、老女はほとんど死にかけています。度を越したケチがいかに甚だしいかをお知らせして、裁きを頂きお救い下さるようお願い申し上げます。
<参考>
第11条
一、諸駅の伝食料並びに駅子の口分田(延べ3年)156町分の直米(じきまい)の米につき、ご裁断ください
国内の労役の中で駅伝の労役より大変なものはありません。これまで伝食の料を上下の官使に供給し、田の地代を駅子の運営費に当てておりました。但し、一駅当たり料田は12町、伝馬の料田は16町で全料田は52町となります。ところが今の国司、元命朝臣は三年の間、両方とも(税として)収納してしまい、これまで下付したことがありませんが、国土の経営の中でこれ以上のものはないでしょう。御馬逓送の日に検牧上下使は貢馬の使いであるということを嵩に着て、応対に狩りだされる民がどんなに困っているかを知りません。出された食事が粗末だとか小さなことにケチをつけ、挙句の果てに賄賂を取ろうとして、そこらを徘徊し貢馬に草を食べさせ、土産を取り放題に得て、馬に鞭を当て走り去るのです。もし良い国司であれば、伝食料を惜しんだりしないので、郡司、百姓が苦労することもないでしょう。駅子が速やかに安堵できるよう、ご裁断ください。
<参考>
尾張国駅家:馬津、新溝、両村の3駅、(3駅×12町+16町)×3年=156町
伝食料:上下官使の供給料(接待供応費)
直米(じきまい):地子米(小作料)
御馬逓送:全国各地の牧から例年馬が上下使により都に貢進される。上下使は当然に提供されるべき接待が質素なものだったので嫌がらせをしたのだが、駅子はその費用を国司が渡さないので対応できなかった。
第12条
一、三か所の駅家の雑用に当てる穎稲で6795束を支給していない事につきご裁断ください
彼の国にある馬は30疋、その値段は籾穀で150石、秣(まぐさ)料にする籾は24石、伝馬15疋、これが倒れた時に買い替える籾の価格が52石5斗、並びに一年の餌にする籾が226石5斗、三か年分を合計すると穎稲でいえば6795束です。これは(延喜)式に従って税帳に定めがあります。ところが、今、守の任にある元命朝臣は全て私用着服して、一把も公用に宛てません。これ以上困り果てることがあるでしょうか。そればかりか、(貢馬)使が到着する時、その費用は郡司がもち、これまでの苦しみは一々数えることもできません。(郡司)私用の馬を使って逓送すると一度に数疋がつぶれます。国内に出せる馬がいなくなると、隣国に何度も借りますが、おそらく将来の国司もこれ見習って踏襲するのではないでしょうか。従って人民には益がなく多くの損害があるのに、国司には損は何もなく益だけがあります。ご裁断を頂きどうか、この苦しみを取り除いてください。
<参考>
彼の国:尾張国の事。訴状作者が郡司なら我が国と書くはず。依頼されて起草した京都の官人がうっかりミスしたのかもしれない。
第13条
一、三か年の間、(元命が)池溝料並びに救急料の稲1万2千余石を支出しなかったことについてご裁断ください
下々の仕事は農業であり、田んぼを作る方法は池や用水路作りが第一歩です。ところがその費用を一束一把も支出せず、まるでそんなこと知らないかのようです。そのため郡司の資財で、僅かながら細々とした池や用水路を整備し、農家のわずかな貯えで多くの川や池の堤防を築いてきました。今記録を調べますと地溝料は全て税帳に載せて中央に申告していますが、ただ、名目のみで実際に支出はしておりません。(自分の)妻子の生活のために国土の農業養蚕をつぶしております。そればかりか、旱魃の時には(日ごろから貯水池の整備をして水を)治めようともせず、大雨の時には堤防で水を防ぐこともしないので、農業は損害を被っています。これは地溝を壊してきたための結果です。ご裁断を頂き速やかに、見せかけの行政を懲らしめてください。
<参考>
第14条
一、(元命が)調を旬(十日)毎に納める決まりに従わず、五、六日おきにごろつき取立人を国内に入れ徴収していることにつきご裁断ください
調の絹の上進は国の定めでは六月上旬より九月下旬までとなっております。これは従来からの慣例です。ところが旬ごとに納める規定に従わず、ずっと早く、ごろつきを取立人として入れ、五月中旬より始めて、まだ織機を準備もしないうちに責め立てるのです。以前の例のように徴収をすべきですが、法令に背いて私利を貪るために屁理屈を持ち出すばかりか、国内に入れた取立人は役目を果たそうとして、恣に掠め取っています。民家にやってきては馬から下りもせず、座ろうともしません。馬の上から郎等や従者に戸を破らせ蔀を開け放させて、家財を捜索し取らせています。少しでも抗議する人には刑罰を加えます。やむを得ず賄賂を渡せば、にんまりと手加減をします。一国が衰退し百姓が殺されるのは、まさに政治が原因です。この元命朝臣をやめさせ、法を守る良い国司を遣わして下さるよう願います。
<参考>
第15条
一、(尾張)守元命朝臣は田の地代と称して国内の上中下田から麦を徴収していることにつきご裁断ください
古典を見ると弱い人を助け、貧しい人を憐れむのが国司の務めで、逃げ出した人々を呼び戻し、困窮している者を助けるのが良い役人の仕事ですが、(元命のように)公を看板にして私にいそしむのは例を見ません。国司が国境から入るに望んで、その国の様子、習わしを聞く儀式を行いますが、それは国司が(国内で)最高の権威だからです。ところが、元命朝臣の所業は普通ではありません。と申しますのは要月は京都の自宅に居て、人民の訴えを聞かず、農繁期になると任国にやってきて、国内の仕事の邪魔をします。郡司が自分用に作っている田を奪って郎従の田とし、百姓の財物を掠め取っては国府に集めています。そればかりか、春のヨモギから秋の木の実まで要求しないものはなく、夏の麦、冬の大豆まで徴収しないものはありません。これらの物を集めて(京迄)運ばせるという苦労までさせます。この麦を計量し終えて、これを退任後の食料だと称していますが、一体どの程度の国司の仕事をして国司の端くれというのでしょうか。貪欲がいかに甚だしいか知っていただき朝廷のお裁きでこういうことを止めさせてくださるようお願いします。
<参考>
要月:4月~9月、閑月(10~3月)の間違いではないかという説あり。しかし収穫月は9月(西暦で10月)。脱穀、籾摺りが一段落した時期(西暦11月)を狙って元命が京都からやって来たのではないか。
第16条
一、雑使等に国内を回らせ雑物を脅し取っている件につきご裁断ください
問題の使い等は郡ごとに多すぎます。脅し取っている手土産や食事は本来の納税分の三倍にもなります。貪欲に溺れ、取って又取り、或いは乱暴を働き、責めて責めぬきます。とりわけ検田にあたっては任用の国司が綿密に調べるべきなのに、ある郡には悪たれの子弟、郎等を放ち、ある郡には不善の有官散位を入れて、町段や歩数を論ずることなく、条里が千とか百にはお構いなく、ただ自分の狂った心のままに、1段の地を見ただけで2、3段と記入し、一町全損をみな良田として帳簿に利益があるものと付けます。徴収する米の利ばかりを考え、公田には不作の部分がある事も知らず帳簿に付けるのです。また供応手回り品の外、一日の日当として白米・黒米をある郡では20~30石、ある郡では絹70~80疋、米6、7石になります。この利益を考えて一日で終わる郷を数日かけて回るので、それが積もると数千石にもなります。この外に国例とし称して反当たり米1升2合を取りますが、それを計るにも不正な桝を使います。このような支出は全て農民・百姓の負担となります。そもそも勘益出田をした検田使には守から5、6町の禄田が与えられます。こんなことがあるので、いよいよ無法に走り、更に国内を苦しめます。また、収納使等の縁類(子姪郎等有官散位)が執行書を持って国内に入るとき、これまでの有様は以前のやり方とは違っております。郡司の手から郷分の絹と称して取る絹は一郷当たり5、6疋です。但し、一郡には6、7郷ありますので、そこから得る絹は40~50疋に及びます。また農民五、六人から脅し取る絹は1、2から3、4疋です。一郷に記されている農民は四、五人なので、各々納めた数量は100疋にもなります。人々が逃げ出すのはこれが原因です。今、手引書を調べてみると国司は国内を巡察し、法の定めにより、(徴税を)行うべきでありますが、子姪伴類を満足させるために法や決まりが指示しているところがわからず、欲の赴くままに、気のふれた連中のありさまを見ようともしないのです。この点で元命朝臣の所業は国司にしてはいけない者です。(元命を)召喚し糾問の上、この苦しみからお救い下さい。
<参考>
任用:中央から除目で正式に任命された官吏(守、介)
国例:その国で決めた付加税
勘益出田:検田して余分の田を見付け利益を上げること
第17条
一、旧年の繰越し稲穀を玄米に搗かせて(元命の)京都の自宅に運ばせていることにつきご裁断ください
この残った官物は現在の守の任期中の納税物ではなく、前の守の繰り越し分です。このようなものは、すぐにでも借貸に回し農業の費用に充てるべき物です。それなのに自分の生活の便のために五、六月ころに米に搗いて(京都まで)運ばせます。搗いてとれる米は3、4升しか取れませんが、納める米は法定では5升となっておりますので、貧しい民や頼る者もない郡司は枕を抱えるしかありません。国を疲弊させる役人、民を困らせる某み、これに過ぎる者はありません。ご裁断いただき利を貪る恥を知らせてやりたいと思います。
<参考>
借貸:無利子の出挙
繰り越し分の残稲は実入りが良くなかったり、品質が良くないのが普通。それを搗かせて良稲と同じ収量の玄米を要求している。
第18条
一、蔵人所の要求と称して通例の貢進より漆を十余石、余分に徴収することを停止するようお願いします
上記、漆は丹羽郡の産物ですが、蔵人所の定例の貢進は3、4斗です。しかしあまりに多くを徴収し過ぎています。納入する所では1升を4、5合と、1斗を4、5升のように少なく計ります。漆を満たす間に漏れているのです。そればかりか、昨年三月十三日から未進があると称し、ごろつき等を使いに出して責立て帰ろうとしないのです。このため漆を持っている民は漆で納め、漆がない民は絹で納めるのですが、漆1、2斗を4、5升に少なく、絹は5、6疋を1、2斗の漆の代わりとして取るのです。一本の木から出る汁はほんの僅かです。このため、木から出るものは少ないのですが、国から要求される所はとても多く、こうしたことで、人は去り、畑は荒れ、野火のために焼けてなくなり、木は倒れ枝は枯れ、国としては大損害です。わずかに立っている木を見ると漆を塗った柱のようで、たまたま残った木を掻いてみると露が落ちるよりも少ないのです。それなのに、(尾張)守元命朝臣はその枯渇状況も知らず無理やり徴収しようとするのです。裁断の上、定例の上進以外の要求をやめさせてください。
<参考>
第19条
一、馬津の渡りに船がないために国内の小舟並びに付近の人を使って煩わせていることにつき裁定ください
船から落ちて死ぬ場合、この過失は誰にあるのでしょうか。水に落ちて沈む、その悲しみは誰のせいでしょうか。国内で起こる事故の責任は国司だけは逃れることはできません。このため(岸の)近い部分でも徒渡りには苦労はしますが、遠い向こう岸には只、渡船等を置くしかありません(※1)。とりわけ馬津の渡りは(東)海道第一の難所で公用の上り下りの使者が滞留する場所です(※2)。ここで大型の船を購入して渡せば郡司百姓が苦労することはありません。ところが、官帳には計上しながら、そうしようとしする気配はありません。(事故が起こる前に)あらかじめ官裁を頂かなければ、思わぬことが起こりかねません。なぜかと言えば、官使を渡す時に小舟を何艘も連ねて、細い梶で海に漕ぎだす日に、暴風や大波が起これば、鯨の口に呑まれ海豚(いるか)の鰓に曝すようなものです(遭難する)。大体、現在の国司、元命朝臣はその水難事故を知りもしないで何で国の守と言えるでしょうか。(渡船購入の)官裁を頂き、船の便を渡し、海や川を渡れるようにして下さい。
<参考>
※1因之近則泥途遠只津邊可置渡船等也
※2平安時代の東海道は尾張津島から長良川河口部を海路で市腋(いちがえ)に渡っていた。
第20条
一、掾以下史生の国司等の俸給の公廨料稲を支給していないことにつきご裁定ください
上記国司達はあるものは専門能力で、あるものは買官で任命されています。しかしながら、月俸の食料は支給されず、日が経つばかりで帰ることもならず、留まることもできません。衣食の禄がなく困り果て、先が見えません。皆京都に帰れば笏を持つ地位なのに、国に赴任しても公廨(給料)を貰えません。これでご奉公の初めにはニコニコしていましたが、任期を務めるうちに失意に落ち込んでいます。世の中が不穏になり、国内が荒廃してゆくのは、唯このことに依ります。この件につき召喚して問いただされ数年の公廨を補償させていただくようお願いします。
<参考>
※三分:国司の”掾”は報酬の公廨の分配率30%、下品:目(さかん)までが国司、その下の位(史生)
第21条
一、書生並びに雑色人らに毎日の食料を支給していないことにつきお調べください
書生、雑色人、書記の人達は家業を捨て、公に奉仕しています。この中で書生は文書作成の職で暑さ・寒さにも負けず長年国のために働き、雑色人もあちこちに使いとして、都や地方を走り回り年を重ねてきています。このような者たちが飢えや寒さを防ぐのは只酒や食にかかっています。ところが守の元命朝臣はその飲食料を奪い取って支給せず自分の郎従の事しか考えていません。民を教え導くなど、最初からそんなものはありません。狂乱の政治は絶える事なく国内の困窮した民は任期が早く終わることを楽しみにし、国衙の雑人は期限が来るのが遅いと嘆いています。ご裁定いただき朝廷のご恩の尊さを知らせたいと存じます。
<参考>
書生並びに雑色人:現地採用の職員
第22条
不法に低い代価で京都の自宅に白米・糒・黒米並びに雑物を運ばせている件につきご裁断ください
当国(尾張)の場合運賃陸路の法に規定があります。ところが詳細を示さず、1石当たり3斗9升余で残りの6斗1升余は支給しません。※{ここにおいて納所の目代が責めとる米百石には絹二疋、四、五百石についても同じ}そもそも国が栄えたり衰えるのは、国司の心次第です。正しい政治を行えば雉も庭にやってきて馴れ、政治が悪ければ、犬が門の前で吠えるものです。今の守元命朝臣では国の中はざわめき安心できません。そればかりか、運送の人夫は踵を痛め都への途中で苦しみ、駄馬は肩を抜かし長い道の路頭で脚が萎えてしまいます。この外に、子姪郎従が各自に持ってゆく色んな費用は莫大なものです。民が困っていることを訴えても、これまで受け入れた事はありません。ややもすれば鞭や杖の罪科を課し、蒲の鞭(優しい対応)の政治等捨て去っています。一身の栄華だけを考え、朝廷の大御宝(おおみたから、民)を滅ぼそうとしています。これであれば元命は国司には不適当です。速やかに任の停止をお願いします。
<参考>
※{ここにおいて納所の目代が責めとる米百石には絹二疋、四、五百石についても同じ}:この文、前後の文脈とつながらない
第23条
一、国衙の雑色人並びに国内の人々に前例もないのに人夫や駄馬を出させて京都や朝妻に雑物を運ばせている件につき、ご裁断ください
人夫や駄馬を使うことについては殆ど前例がありません。それなのに或時は寒い季節、ある時は農繁期に毎月、旬(十日)も空けず、ずっと運ばせ続けています。上京には十日かかり、帰りは遠い山道を戻ります。このため人夫の肩の皮は化膿し、天秤棒を抱えて苦しみ、駄馬は蹄を痛め、鞍を置かれて苦しんでいます。旅の糧食が尽き体力がなくなれば国に帰れなくなり、草が枯れ水が凍る季節には途上で動けなくなってしまいます。こうして、国内に人夫はいなくなり、駄馬もなくなるのですが、下される運搬料の賃米※は人夫は1石2斗、駄馬は2石余です。倒れる人馬は数知れません。官物運送以外の、規定外の人夫駄馬の要求をやめさせて頂くようご裁断ください。
<参考>
※賃米:阿部注釈では運ぶ米となっているが、運び賃ではないか?
朝妻:米原市。大津市坂本まで船便があった
第24条
一、国分尼寺の修理料稲一万八千束を支出しない件につきご裁断ください
国分尼寺は朝廷や役人、民の幸せのために建立されたものです。ところが、それは以前に神火によって焼亡し仏像は灰になっています。全てのものは亡びることが示されたのです。堂塔は燃えくずを残し葬送の煙となりました。修行していた仏道の拠り所がなくなり、お供えの香華もできません。これに至っては講師玄好はすぐに国司と協力して建立すべきものです。ところが国司は、国分尼寺の修理のための料稲を取り置いて支出しません。このため再建しようにも、めどが立ちません。こうして年月が流れるままに空しく再建を願い続けてきました。このような時、四天護法がとうとう効き目を現し、十八善神が度々夢に現れ、尾張守元命朝臣は驚いて、少しばかり造立に取り掛かりました。しかしながら百姓には負担をかけましたが、一堂も建てず斎会の時は仮屋を作って、御願の読経を行い、講演の時は片庇(の簡易な堂)で読経をしましたが、廿人の僧は、簡単にすまそうと六時を急ぐことにして、自分たちの居所で三論の勤行を行いました。こういうことをしているので国内は荒れ廃り、人々は逃げ去るのです。災害が起こるのもこれが原因です。国司を召喚の上、問いただしご裁断いただき、修理料稲を支出させて国分尼寺を建立させ、朝廷の安寧を祈り申し上げ、国土が復興することを願います。
<参考>
神火:雷など神の怒りによる正倉等における火災。実は、国司等が財政の欠損を隠蔽するための放火が多かった。
斎会(とき):僧を招いてお経をあげるお祀り
六時:昼の三時(晨朝・日中・日没)と夜の三時(初夜・中夜・後夜)この6回のお勤め
三論:三論宗の三経典
第25条
一、講師・読師の衣料食料並びに僧尼等の毎年の布施稲一万二千余束を支出しないことにつきご裁断ください
災いを払い福を招くことは仏法の畏れ多い験能に懸かり、国を護り民のためになることをするのは優れた頭脳の祈祷によります。特に購読師は修行・座禅の人で、他のもろもろの僧尼はその御願・勤行修業のお仲間であります。朝は白い露を嘗め仏法王法の教えを伝え、夕方には赤い霞を食べて(以上『私利私欲を離れ』の比喩)、宇宙の真理、世俗の道理を学ぼうとしています。初後夜の入堂、朝夕の礼拝は五輪を地に着け、二本の足を結跏します。怠けている僧はこれを見て発心し、信心のない俗人はこれを見て讃嘆するのです。こうした後に天皇の億歳を祈り申し上げ、万民の長寿を誓願しています。その才能や行跡を基に人を選んで任命しているのですが、現、尾張の守元命朝臣はその(支出すべき)衣料や食糧を出し惜しみ、自分の酒代食費としております。このために六年六夏(夏安居)の間、布施もなく三宝三衣の費用、補修もずっと途絶えたままです。(こんな状態では)昔、五月の宵に白い霜雪が降った(冷害)と聞きます。また三年日照りが続き赤い雲霞がかかった(旱害)という古い、いい伝えもあります。これは孤独な老女の歎きでもありますが、同時に僧尼の歎きでもあります。裁定を頂きその料稲をご支給ください。
<参考>
初後夜:初夜(夕方ー夜半)と後夜(夜半-朝)
五輪を地に着け:頭、両手、両膝(五体投地)
六年六夏(夏安居):夏(4月16日~7月15日)の90日間部屋に籠ってする修行
三宝三衣:三宝(佛・法・僧)と三衣(僧が着る三衣、大衣・上衣・中衣)
第26条
一、(尾張)守元命朝臣が国庁で政務をとらないので郡司百姓の訴えをしにくいことにつきご裁定ください
国司というのは、昔から朝廷の手足として国内を巡検し、常に様子を調査していなければなりません。しかしながら、元命朝臣は殆ど京都で生活していて民の苦しみを改善しようともしません。恐れ多くも国司の地位にありながら、民に対しては夷狄に対するのと変わりません。政務がある日に役所に顔を出さず訴える人が押しかけて来た時には、(国司)館の裏に身を隠し、集まった人は、気配は感じても戻ってゆくのです。郎従の連中は目配せしながら勤務を続け窓の中に姿を隠し、いつも在京と言い、いつも物忌みと称し、門外に札を立てています。このため郡司百姓が朝、書状を持って行っても、夕方にはがっかりして帰るのです。連日終日、 苦悩は深くなるばかりです。どういう罪の報いでこのような国司にあたったのか。ああ、将来の国司がこれに輪をかけることはないでしょうか。裁断を頂き、速やかに胸の不安を解消していただけないでしょうか。
<参考>
第27条
一、(尾張)守元命朝臣の子弟郎等が郡司百姓から取り上げている雑物につきご裁断ください
子弟郎等の姿ときたら夷狄と変わらず、むしろ狼のようです。人の肉を切取って、それを身体にまとっています。民の物を奪って京都の家に運び、目に入る気に入った物は何でも取り上げます。珍しい財物があると聞けば手下をやって無理やり取ってきます。そもそも元命朝臣の息子、頼方はやることが普通ではなく、美酒を集めて一日で5、6斗も飲みます。ただ、これは一人で飲むだけではなく、仲間たちと泥酔するのです。朝に歌い夕方に舞う連中は、酒乱の上、心が尋常ではありません。父が国を乱しているのもわからず、自分は只無道のやり放題です。国府の役人にとっては恥さらしで、国内の郡司に対しては罰を乱発しています。古今にこれほどの人は見たことがなく、この頼方は国内の郡司百姓の所有である牛馬を、御用があると勝手に取ってきて一、二日間をおいて国内の(別の)人に売りつけます。絹1、2疋相当の馬は5、6疋の値をつけ、牛に至っては気が向くままに野に放してあるのを取ってきます。商売人の卑しさだけがあり、上に立つ者の節操がありません。速やかに禁制され、後代このようなことがなきようご裁断ください。
<参考>
第28条
一、(尾張)守元命朝臣の息子頼方が国内に数疋の人夫と駄馬の負担を命じ、その代価として絹を脅し取っていることにつきご裁断ください
頼方は自分の領地がある郡に行って、この件の人夫と馬を借用すればよいのに、国内の郡全体に負担を強要しています。現在、民の家に運搬に使う人夫や馬がある訳はなく、わずかに残る馬牛は毎年の納得のいかない新古の交易の絹の代価のため隣国他に売却しています。払えない理由を説明しても、性悪な取立人をよこして殴ったり縛り上げたり乱暴し放題です。このため、身を護るため、家に伝わって来た田畑を売り、絹にして支払おうとするのですが、絹1、2疋を駄馬1、2疋の代価とするのです。三か年の累計はその数どのくらいになるかわかりません。駄馬を取りに来た使いは土産の米をと言って5、6斗から1石を、従者らがめいめい自分の地位に応じて、脅し取ります。つまり父元命朝臣が取り残したものまで子の頼方がかっさらってゆくのです。一人の役人のために多くの百姓が財産をなくしています。裁断いただき制止をお願いします。
<参考>
第29条
一、(尾張)守元命朝臣の子弟郎等が郡司百姓全員に作らせている数百町の強制的に作らせている佃数、百町の食糧を得ていることを今後停止させていただくことをお願いします
国司交替の日、子弟郎等がやってきた日、国内一軒残らず佃の耕作をやらされ、とりわけ、息子頼方の佃はある郡は4、5町、ある郷は7、8町、8箇郡すべてで強制耕作させている佃はおびただしいものです。出挙の日に耕作経費を渡さず佃を作らせ、収納する時期になると百姓の承諾も断りも聞かず穎稲を徴収します。つまり、お納めすべき官物を奪い取って、耕作させた佃の分け前(穫稲)としています。そればかりか、取立人の土産は1段当たり4、5斗です。このようなものを累計すれば、とうに正式な官物の倍になります。一年もすれば、めいめいが長年かかる貯えを作ってしまいます。これは只、人の骨髄を砕いて自分のまとまった財産を作るようなもので、これ以上の楽しみはないでしょう。とんでもない非道には嘆いても歎き足りません。どうか裁断を頂き、速やかに止めさせてください。
<参考>
佃:国衙領・荘園内における領主の直営地。収穫の全てを国司が得るものではなく小作地に近い
第30条
一、(尾張)守元命朝臣が都からやってくるたびに連れてくる有官散位の親戚、同類のごろつき達につきご裁断ください
五位一人 天文権博士 惟宗是邦
内舎人二人 橘理 藤原重規
同 考兼 同 朝佐 大原弘春
良峯松林 伴兼正
五位以上と諸司官人が安易に畿外に出ることは堅く禁じられています。それなのに、今の自分の利益を考え、こっそり新任の国司についてゆき、皆、京に帰らず国に留まっています。京都にいるときには上司にごまをすり、(国司に)つき従っているときには、心を下の者たちと同じにして雲のように乱入し、風のように騒ぎ立てます。悪だくみを考えては、現地で手土産を探します。こうしている間に人、物はなくなり将来の見通しが立ちません。とりわけ検田使等は一郡につき二人ですが、検地している所は例えようもなく(でたらめで)、一段の田を2、3段に見積り、5、6段は7、8段と帳簿に付けます。こんなことで40、50十町は90町にもなってしまいます。そればかりか、一日で調べられる田を三、四日かけて巡検し、三、四日と記入すべき田を七、八日かけて回ります。つまり食事を出される日には御接待以外に、毎回食糧費として、白米8、9斗・黒米5、6石、郷毎に絹10疋、其の外に段米と称して町当たり1斗2升を取ります。一夜の宿舎は、夜具類から塵まで全てなくなります。従って田を耕す人は皆逃げ出し、畑を作る民だけが僅かに残るだけです。国内にこのような問題があっても、状況を外部には伝えることは困難です。この歎きの声が出ないよう、ご裁断をお願いします。
<参考>
第31条
一、去る寛和三年(987年)某月某日に諸国に下された九箇条の官符の内、三箇条だけ公付し、六箇条を隠していたことにつき問い糺しお裁きください
下付した三箇条
一条は、恣に武器を持って国内をうろつく輩を制止する事
一条は、陸海の盗賊を追討する事
一条は、王臣家が庄園田地を設けて国や郡の妨害をするのをやめさせる事
未だに、下付していない六箇条
一条は、調庸雑物を期限までに納付する事
一条は、調庸雑物を期限までに納付しなかったり不足した国司は挌に従い現在の国司を解任する事
一条は、諸国に任命された受領が、任国の職員を解雇することを停止する事
一条は、諸国の受領の多くが五位、六位の有官散位親属を連れて赴任することを禁ずる事
一条は、公帳に記帳された前司の補填完了分は全て(今期の)官物に入れること
一条は、官や封家並びに庶民から王臣まで納税には銭貨を用いること
以上の官符は去る永延元年七月八日に諸郡に下付されています。その主旨は武器を持ってうろつくこと、陸海の盗賊、および院宮王臣家の庄園田地を設けることを重ねて禁止すると言っています。三箇条は下付し、六箇条は未だに下付周知させていません。これは法を曲げ非行を行うために手元に留め置いたのです。とはいえ(勅宣)官符は厳正なものであり、(尾張にも周囲から)漏れ伝わっており、その九箇条の内容を調べてみますと、「諸国受領の吏(在地の職員)の解雇の禁止」と「五位六位有官散位親属を連れて来ることを禁止する」ということです。非常に厳しい禁制にも関わらず、このような官符に背き、私欲に狂った行動をしています。なかんずく国司の職は朝廷の代理として重く、民を大事にして国を発展させれば栄進もあるのに、現在の国司、元命朝臣は国土が荒廃し人々が逃げ散っていることを気にもしないのです。一回の任期中に一生分の財産を貯え、この三年の間に数か所の家や畑を買っています。これこそ国が滅び民が逃散する原因です。まして、有官散位、諸司官人は職務が異なります。ところが、気がふれて笏を持つことの重さを忘れ、只、鞭で民を追い回す仕事を好んでいます。このような厳しい仕打ちを隠すために、追い出すこともしないのです。もし国司に会って訴えても、やめさせようとする優しい心もないのです。以上のように訴えを詳細に書いて言上します。ご裁断いただき違勅をやめさせようと思います。
<参考>
後文(元命の暴政の総括とその解任、領民救済の嘆願)
省略
永延二年(988年)十一月八日 郡司百姓等