武蔵国の鎌倉街道下ノ道概略図
平安時代も半ばを過ぎると、公的旅行でも武蔵から相模の交通は江戸時代東海道に近い南寄りのコースをたどる様になった。具体的な道筋は知るすべもないが、おおよそは後の鎌倉街道に引き継がれたと考えられる。武蔵国と相模国を結ぶルートは鎌倉街道下ノ道がそれにあたる。その鎌倉街道が具体的にどこを通っていたかについては、確定されたものはないが、おおよそは解明されている。関東の鎌倉街道については芳賀善次郎氏により実地調査され出版されている。
ここでは、芳賀氏の著書から川崎市小田中から横浜市港南区までを実地に鎌倉街道を辿る場合に役立つ概略図を編集して示している。手描きの概略図であるが現代の地図で実際に歩く場合、目印となる寺社、史跡が記入してあるので、大きく道を間違えることがない。実際には現代の道路地図と照合しながら歩くことになる。
ただし、概略図の調査年代は1980年代であることには注意を要する。