更級日記の東海道の旅をもとに平安時代の古地形や文献で平安時代日本を再現
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からむし(苧麻)糸の歴史と製法

  苧麻は日本では最も古い繊維原料でおそらく縄文時代、弥生時代から歴史時代を通し、江戸時代まで衣料とされてきた。


苧麻の歴史


  明確に歴史に現れるのは、魏志倭人伝からである。女王国の風物として以下の記述がある。


魏志倭人伝

  

  種禾稻紵麻蠶桑 緝績出細紵縑緜 其地無牛馬虎豹羊鵲

「禾稲、紵麻を種まき、蠶桑す。緝績して、細紵、縑、緜を出だす」


(現代語訳)「稲やカラムシを栽培し、養蚕する。紡いで目の細かいカラムシの布やカトリ*、絹わたを産する」

*カトリ:合わせ糸で織った目の細かい絹織物

 苧麻布は大変な労働集約製品であり、人が生きるための必需品であった。江戸時代になると木綿が普及し、重要性はやや低下したが、庶民が自給自足できる繊維として全国各地で生産が続けられた。戦後に至っても製造の機械化、合理化がすすめられ生産継続の努力が続けられた。しかし高度経済成長の時代に入り農家の苧麻栽培からの撤退が相次ぎ、昭和45年を以て数千年にわたる日本の苧麻栽培は終焉した。現在の苧麻(ラミー)製品の原料は全量輸入であり、国内では民芸高級品用としてわずかな産地を残すのみである。



万葉集に見る苧麻


  京職藤原大夫(藤原麻呂 藤原不比等四男)、大伴郎女に贈れる歌

むし衾(ふすま)なごやが下に臥せれども 妹とし寝ねば肌し寒しも(巻四524)

蒸被 奈故也我下丹 雖臥 與妹不宿者 肌之寒霜


(歌意)

カラムシの布団の柔らかな中に寝ているけれど、あなたと寝ていないので肌寒いんだよ

この歌で「蒸被」を古くは”暖かいふとん”と解釈されていたが、蒸には「暖かい」としての用例がないことから、現在は「むし」はカラムシ(苧)のことであると解釈されている。因みに「苧麻」は明治以降中国産カラムシが輸入されるようになって使われるようになった漢名であり、和名は和名抄にある「からむし」である。漢字は苧を当てる。(木下武司 万葉植物文化誌 p.536、八坂書房)


因みに万葉時代の貴族は苧麻の綿が入った(皮は勿論苧麻布)布団に寝ていたことがわかる。庶民が稲藁の莚に寝ていたことを考えれば超高級布団といえるだろう。



万葉集上の麻について


  類似の繊維として麻(大麻)がある。これも古くから栽培され、現在でも神社の注連縄(しめなわ)、幣などに使用される。苧麻と混同され古典文献中でも両方とも麻と呼ばれるが植物的には別物である。万葉集に「アサ」が多数出現するが、その中には「カラムシ」もかなり含まれていると思われる。
「麻」の用例を下に示す。

  〇明らかに大麻の用例
麻衣着ればなつかし紀伊の国の妹背の山に麻蒔く吾妹(藤原卿、巻七1195)

大麻は種蒔き、苧麻は根茎で植付けるのでこの歌の麻は大麻である。

  〇大麻の布団の用例

寒しくあれば麻衾引き被り…、万葉仮名表記:「麻被」(山上憶良、巻五892 貧窮問答歌)

  〇どちらか不明の用例

勝鹿の真間の手児奈が麻衣に青衿着け ひたさ麻(お)*を裳には織り着て…(高橋虫麻呂、巻九1807)

*ひたさ麻:「さ」は接頭語、「ひた」は混じりけのない、混じりけのない真っさらの麻

万葉集引用:日本古典文学全集「万葉集」(小学館)

苧麻は繊維製品名としてラミー、大麻はヘンプと呼ばれる。大麻はアサ科アサ属で苧麻とは別種の植物である。織物としては、大麻布より苧麻布の方が柔らかい。余談だが、繊維原料として日本で栽培されてきた大麻にはほとんど麻薬成分は含まれない。

大麻の栽培、大麻糸の生産方法は苧麻と類似しているのでここでは触れないが、その生産に関して栃木県下都賀郡(現、栃木市)で行われていた方法が今井福治郎氏によって紹介されている(『万葉地理の研究』p.124、春秋社)。


<手作布>

苧麻布を日光にさらして漂白した高級布。万葉集、東歌に次の歌がある。

多摩川にさらす手作りさらさらに何そこの児のここだかなしき(万葉集、巻14、3373)
(多摩川の(河原)に曝す手作布がさらさらと風になびき、そこで遊んでいる児はなんてこんなに可愛いいんだろう)

注釈では川の水に流している情景と考えているようだが、漂白するなら川原で日光に当てなければならない。白妙の布がはためく河原で小さな子が遊んでいる姿に目を細めている親の姿が目に浮かぶ


苧麻糸の生産


(1)苧麻の植物学


イラクサ科ヤブマオ(藪真苧)属カラムシ

雌花だけを着けて無性繁殖する。
多年草、古くから日本に自生し現在でも雑草としてあちこちで見られる。



植物の導管、篩管は長い組織で縦に裂けやすい。この部分を繊維として利用する。(図引用:生物図説、p.36、秀文堂)



(2)苧麻の栽培


①植付


  苧麻は種子が出来ないので根茎で増殖する。前年株の根を掘り起こし、大きな根鉢を数個に分割し、老化した根、延び過ぎた根を除去して新しい苗とする。植付時期は地方によって異なる。本州太平洋岸であれば、3月中~下旬頃か。育成期間は沖縄県宮古島では植付後40日で刈入れできる。一方、福島県では植付後、1、2年目は刈り取りはするが収穫せず、2年目と3年目の春5月半ば頃、”からむし焼き”を行う。収穫せず取っておいた枯カラムシを畠に広げ焼き払い、根を刺激して新芽を出させる。福島では7~8月半ば頃刈入れ。地域による生育期間の違いは日照量、積算温度の違いによると思われる。亜熱帯地域の宮古島では年4~5回刈り取れる。


②苧麻繊維の取り出し


  刈取った茎は葉を取り除き長さを切り揃える(1.5m位)。茎は束にして数時間から一晩水に漬ける。カラムシの茎を折り、表皮を2枚に剥ぐ。


外皮除去(からむし引き)


表皮の外皮を鉄べらなど(宮古島ではアワビの貝殻)を使って剥ぎ落とす。力加減が微妙で熟練を要する。



乾燥して100匁(375g)ずつ束にする。古くはこの状態で、青苧(あおそ)という中間商品となった。



謙信公の財政を支えた「青苧(あおそ)」
   古くから「越後上布」の原料として珍重された青苧。上杉謙信公も青苧商人や港に出入りする船から徴収して、米・金銀と共に軍事と財政力を支えていました。

 ここに植えてあるイラクサ科のカラムシの茎から採れる繊維が青苧です。カラムシは雨が多く、湿度が高い場所、そして風が弱い土地を好むため越後(新潟県)は上質な青苧の産地でした。(越後、春日山城現地案内板)


(3)苧麻糸の製糸


  数千年にわたる製糸は縄文時代、弥生時代、歴史時代、近代にわたる長い期間、同じではなく絶えず改良が加えられ近代にいたり、機械製糸が行われるようになった。作業名、道具類は地方、時代で変化したものの製糸の基本は長い時代にわたり変わっていない。しかし、苧麻産業が消滅した現在、その技術は失われつつある。その技術は高級民芸品として僅かな産地に残るが、これも高齢化により消滅の危機にある。以下に現時点の技術と、絵巻物に残された絵図から平安、鎌倉時代の技術を類推してみた。


<苧績み(おうみ)>
青苧を裂いて繊維状にすると、糸状の物が得られるが、長い糸にするため、繊維を繋ぐ作業が必要になる。これを「苧績み」という。繊維を繋(つな)ぐときには結ぶのではなく、繊維の両端を裂き互いにからみ合せた上で撚り、繋いで行く。苧麻糸を布に織る場合、経糸(たていと)、緯糸(よこいと)で必要な強度が異なるので、二種類の糸が必要になる。強度が必要とされる経糸は細めの繊維を2本撚り合わせ1本の糸とし、緯糸は太めの繊維1本とする。

<撚(よ)りかけ>

青苧の繊維そのものでは、強度が弱いので、糸に撚りをかける。現代では手紡績でも糸車で撚りをかける便利な道具があるが、古代、中世には”手摺(てすり)つむ”による方法で撚りかけが行われていた。道具として紡錘車と手押し台、手押し木を使う。


具体的な使い方は、現代に継承されていないので、鎌倉時代に描かれた絵から想像するしかない。




<整経>

撚りをかけた糸は手経木と呼ばれる木枠に巻き取り、織機にかけられるようにする(整経)。

この段階で、糸の長さがわかるので、反物を織るに必要な糸の量を計算できる。



<上布について>

  苧麻製品で上布という語が古くから使われているが、これについて明確な定義はなく、現代では高級麻織物という意味で使われている。又細い繊維を使った柔らかな平織をそう呼ぶことがある。一方、以下のように繊維の前処理をした製品とする場合もある。

『粗繊維を灰汁につけ水に曝す工程を繰返して、ペクチン質を除いて漂白。この漂白して織ったものが上布』(木下武司、万葉植物文化誌 、p.536,八坂書房)


<苧麻の糸と布の経済的価値>


  布は大変な手数をかけて作られることと人間生活の必需品であることから、古くから富のシンボル、即ち”宝”であった。そのため「調」、「庸」の重要納税品目となっていた。一方、ほぼ全ての国民が布の生産に関わっていたため、産出量はかなりの量に上っていたと考えられる。総産出量から自家消費分と税徴収分を差し引いた余剰が、代替貨幣として流通した。代替貨幣として米、鉄等もあったが、いずれも重量物で流通に難があった。その点、布、絹などの繊維品は軽貨で流通に難がなく保存性も高かった。「布」は繊維品の中でも産額が多く価値流動性という観点から代替貨幣として最も価値の高いものであった。金属貨幣が消滅した平安時代中期以降に、かろうじて日本経済を回していたのは、布であったと言える。
平安時代中期は温暖な時代であったにもかかわらず、経済的には停滞した時代だったと言われるが、その原因の一つとして通貨発行量の絶対的不足が考えられる。経済成長には資本流動性の観点から一定規模の通貨発行量が必要である(経済を円滑に回すには通貨の十分な余裕が必要)。しかし布は限られた女性労働力に依存していたため生産に限界があり、簡単に増やせるものではなかった。言い換えれば、平安時代は慢性的デフレ状態が続く社会だった。


<米との交換比率>

  平安時代の経済を知るためには、具体的に代替通貨である「布」の経済的価値を知らなければならない。江戸時代の1両は約10万円と言われるが、平安時代の布1反(段)はいくら位なものであろうか。

<布一反の現代価値試算>
  禄物価法によると調布1段は穎稲30束と等価(上総国)とされる。
頴稲1束から3.12kgの玄米が得られる。(平安時代の米作りの生産性と税負担

現代の米価(玄米):約12000円/60kg (令和4年、主食米、消費税、運賃梱包含まず)

1段の布の交換価値は以下のようになる。

30束×3.12kg×200円=18720円
注)現代の米価は生産性向上で古い時代に較べれば圧倒的に安く生産されている。平安時代人の感覚では、米価は現在の倍以上であったかもしれない。とすれば布1反は3万7千円くらいだろうか。


因みに現代の高級織物*である宮古上布は販売価格で大体1反200万円するそうである(利益、流通経費含む)。
*柄物で、漂白、染色、砧打ちなどの処理をしてある。



参考情報


  苧麻布の生産は一部の地域を除き、現在行われていないので手身近に苧績みなどの作業を見ることが出来ない。幸い、多くの動画がYoouTubeに挙げられているので、いくつかを参考にさせていただいた。



からむし織-昭和村

https://www.vill.showa.fukushima.jp/introduction/365/

宮古上布・琉球染織

http://www.miyako-shinei.jp/miyakojofu/ito.html
からむし織の動画(アクスルビデオ社)「技を伝える」vol2.苧績み からむしの糸作り

https://www.youtube.com/watch?v=QIGscKahEqY

福島県 昭和村  「600年の伝統を保つ からむし織の里」

https://www.youtube.com/watch?v=NNhBzEEXsIk

日本の音風景100選から からむし織のはた音  東京シネマ新社

https://www.youtube.com/watch?v=BDmZaIFJMwg


【奥会津の“樹になる人々”】 #33 昭和村のからむし焼き

https://www.youtube.com/watch?v=2p_4eoyirIQ
【奥会津の“樹になる人々”】#14 環さんの『からむし引き』

https://www.youtube.com/watch?v=-h8TC4vjsi8

からむし績(う)み  渡し舟ーわたしふねー


https://www.youtube.com/watch?v=byXOqHd715s

 

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