更級日記の東海道の旅をもとに平安時代の古地形や文献で平安時代日本を再現
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上総のいまたちから旅立ち

寛仁4年9月15日グレゴリオ暦10月10日(雨):台風の中、下総の池田に向かう



  まだ暗いうちに雨の音で目が覚める。いよいよ出発だ。いよいよ上総を発つとなると感迫る。昨日までに旅の準備は整ったがこの数日空模様が良くない。昨晩から風が強く雨も降ってきた。お父様と虎吉は軒下で額を寄せて心配そうに空を見ながらぼそぼそと話込んでいる。この季節はまだ野分(のわき、台風)の吹く季節だから如何に陰陽師の指示でもうかつに出歩いたら吹き飛ばされてしまう。でも暗闇の中で男たちが立ち騒ぐのが聞える。やっぱり出掛けるようだ。まま母さんはもう起きていて戸口の辺りで下女たちに食事の指示をしている。私と姉さんは顔を見合わせ寝床から起きあがり支度にかかる。姉の乳母のユリがやってきて二人の着替えを手伝ってくれる。旅の衣装は動き易いように短い袴で、上着もたくし上げて腰のところで締める。でも色は土色で随分田舎っぽく、ぐずぐずしていると、ユリは

  「汚れが目立たず、動き易いし旅はこれに限りますね」

と自信タップリに不平の先回りをして仕事を進めてしまう。とはいえ最後に脚半を巻き、わらじの紐を締め上げると

「さあ、行くぞ」と心も締まる。



  ご飯と干し魚で朝食を取る。食事が終る頃には夜は完全に明けてしまったが雨は止まず、どんよりと薄暗い。雨除けに車に掛けられた雨皮(あまかわ)が風にばたばたはためいている。歩けないほどの風ではないが、大丈夫かなあ。半時(一時間)ほど様子見して雨脚が弱まった頃に出発する。虎吉の話では占いに従って兎に角今日のうちに人だけでも出発し上総と下総の境を越えた池田まで行くのだという。荷駄はこの雨ではとても無理なので雨が上がり次第、後を追ってくることになった。伴の者は皆、蓑笠をつけて車の回りで雨風に身をすくめて待っていた。急き立てられるように女、子供が車に乗り込むと簾、雨皮が下ろされ,動き出した。先頭には虎吉が馬にまたがり大きく手を振って声を上げているが雨が雨皮に当たる音と、風の音でよく聞き取れない。大変な門出であるがこうして京へ向かう事になった。一行は私たち家族が6人、虎吉、乳母のユリ、下男の鳶丸(とびまる)、犬丸それにまかないの蓬(よもぎ)と人足8人、侍2人、都合20人だ。車は前を2人、後を2人の男たちの手でぬかるむ道を進む。中は私と姉、継母とちびちゃんと乳母の5人でとても窮屈だ。揺れるたびに四隅の柱にしっかりつかまっていないと互いにぶつかりそうになる。それにしても、雨がひどく前と後ろの簾の隙間からしぶきが風と共に入り込んでくる。ユリが小さな布切れをそこに掛けてくれたので多少ましになったが、髪から首筋までべっとりとして気持ちが悪い。外では風の音と馬のいななき、人々の掛け声が入り混じり大層騒がしい。しばらく右に揺れ左に揺れして進むうちに車が止まった。簾の隙間から前を覗くと前方に泥で濁った川がどうどうと流れている。板橋がかかっているが、水面がかなり上まで上がって、橋板ががたがた揺れている。虎吉が簾を少し持ち上げ顔を出して

  「奥様、申し訳ありませんが橋を渡りますので、皆さん降りていただけませんか」

と言った。  皆は下男が差し出す紙子を被り、車から降りた。この川が上総と下総の境の村田川だ。大した川ではないが、大雨の時には、こんな川でも渡るのが大変だ。川を渡り3時間ほど進むうちに、池田という小さな集落に着く。といっても粗末な農家の小屋が二、三軒在るだけだ。雨の中で男たちは手早く今夜の庵を組み立て始めた。しばらく狭苦しい車の中で待つがチビちゃんが愚図り始め大変な騒ぎになってしまった。最初に女達の庵が用意され早速にもぐり込んだが雨が防げるだけの狭苦しい小屋だ。でもチビの泣き声から開放され姉と顔を見合わせ、ほっと一息。体中、しぶきをかぶって湿っぽく寒気がするが、でも外を歩いて来た者達は、もっと大変だったに違いない。



  まだ日暮まで大分あるはずだが、空は黒雲に覆われ、雨風は容赦もない。庵の中は一応、板を渡して床らしいものを設けてあるが、薄くてしなり心もとない。伴の者達の庵が出来上がると、その中に炉を設け火が起こされた。少しだけ気分が明るくなる。本当は火の側に行って服を乾かしたい気分だが食事の支度の邪魔になってはいけないので、姉さんと肩を寄せ合いじっと待っていた。上総の家ではいつも台所に入り込んで火に当たったり、まかないの女達が料理をするのを見ていたものだ。その台所をやってくれていた蓬(よもぎ)が下総まで送りに来てくれている。彼女と犬丸は半身を庵からはみ出して、炉を覆うようにしながら火を守り、鍋で何かを煮ていたが、半時(1時間)ほどかかって「旦那様、奥様、大変遅くなりました。こんな雨でまともな料理もできませんでしたが、やっと準備ができました。暗くならないうちに召し上がってください」と紙子で折敷を覆いながら庵に運んできた。今朝炊いたご飯に湯をかけただけのものだったが、とにかく温かいご飯と持参の野菜の煮物、海藻の汁の夕食をとって、やっと生き返る心地がした。蓬の料理はいつもおいしいが今日のは格別だった。「本当にありがとう」、と心の中でつぶやく。蓬はこのあとすぐに、炉のある庵にとって返し汁の入った鍋に水を足し野菜と飯を入れ伴の者達が食べる雑炊を作り始めた。伴の者たちの食事が終る頃になっても、雨脚は衰えず、一晩このまま降り続く。



寛仁4年9月16日グレゴリオ暦10月6日(晴)

   昨夜は一晩降り続き、床下に水が流れ込み、床の上まで水が上がるのではと思ったほどだが、夜明けと共に雨がやみ風も弱まってきた。そして昼までには雲も晴れ嘘のような良いお天気になった。外を見ると、すぐそこの丘に木が3本ばかり立ち、弱まった風に揺れている。今日はここに留まり、後続の荷駄の一行を待つ。男達は先刻の木の間に綱を張り、濡れたものを乾かし始めた。私達はすることもなく、丘に上り門出した上総のほうを見やったり、海のほうを眺めて、その日を暮した。昨日チビちゃんは、機嫌がよくなく、まま母さんを困らせていたが、今日はうって変って大はしゃぎでその辺を駆け回り、この孝子お姉様を挑発するのだ。



メイン画像は石山寺縁起絵巻(滋賀県・石山寺蔵)に見る更級日記石山寺詣での図



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