更級日記の東海道の旅をもとに平安時代の古地形や文献で平安時代日本を再現
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松里で乳母とつかの間の再会

くろどの浜を発ち松里に向かう 寛仁4年10月17日グレゴリオ暦10月12日(晴)



夜明け後すぐに出発する。朝から天気が良い。海老川を渡る。昔は舟を並べて板を渡した船橋がかかっていたというが今は普通の橋だ。とは言っても、どこの橋も壊れていておっかなびっくり恐る恐る渡る所ばかりだ。川を越えて再び昨日と同じ海岸沿いの道を車に揺られて行く。そのうち道はだんだん松原のなかに入り、程よく秋の陽射しがさえぎられ松の香りが車の中に漂い心地よい。くつろいだ気分で車の狭さも忘れて今日は姉とお喋りのし通しだった。途中一回休憩しただけで昼を少し過ぎた頃、太井川の上流側の渡し場である松里(現在の市川市、市川)に着く。名前の通り松林の中の村で結構民家も多そうに見える。それは、当然といえば当然、ここは下総国府のお膝元だもの。道を突き当たったところが太井川の堤防になる。お父様はすぐ北の丘を指差して、

 「あそこが下総の国衙があるところだよ。ずっと昔は上総のように国分寺、国文尼寺の他、いろんな製品を作る工場、税を収納する倉庫もたくさん並んでいたそうだが、今は火災や台風、何やかやで失われて昔の面影は無いね。特に国衙などは17年ほど前に平維良に焼き討ちされ、後で建て直されたものの、今は小じんまりしたものになっているよ。かえって最近では丘の下のこの松里の方が人が集まって賑やかだね」。

 虎吉は私達を今日の宿の前に下ろし、雑色(召使)たちに一通り指示を与えると男達の引く荷駄の車や馬を引き連れ川岸に向かった。明日早朝に出発できるように、今日のうちに荷物を渡してしまうとか。父と兄は河原の様子を見に堤防の上に登って行ったが、私にはこの松里でやらねばならないことがある。私の乳母のモモに会いに行かねばならない。 この思いは上総を出てからずっと胸の奥につっかえていた。彼女はお産のため一足先に上総を発ち、この松里で産後の養生をしている筈。かわいそうに子供が生まれるというのについ半年前、夫を失って一人で京に上ることになってしまった。出発前に

 「どうして一緒に行ってはいけないの」

と父に聞くと、

 「お産をすると、とても身体が弱るから、しばらく休んで体力をつけてからでないと、長い旅は無理なんだよ。松里で産んでそのままそこで養生していれば、松里は下総、上総はもちろん常陸方面からも上京する便が通る場所だから適当な便に同行させてもらえるよ。下総の納税の便が11月に出る筈だからそれにちゃんと頼んででおくから心配ないよ」。

と言われても不安が消える訳ではない。こちらに下って来る時だって随分大変だったもの。知らない人達にちゃんと面倒見てもらえるかしら。途中で身ぐるみ剥がされて放り出されたら死ぬしかないじゃない。もう一生会えないかもしれない。私は思い切って、まま母さんに

「モモに会いに行きたいんだけど、どうすればいいの」

と切り出した。まま母さんは一瞬はっとしたように私の顔を見つめ

 「そうねえ、この近くにいると思うんだけど私は知らないの。虎吉に聞けば分かると思うけど彼は今、河原で大忙しだし、どうしたらいいでしょうね」

と口ごもった。 それでも食事の支度をしている蓬を捕まえ河原の虎吉に居場所を聞きにやってくれた。しばらくしてその蓬(よもぎ)と兄が連れ立って戻り、兄が

 「僕が連れて行ってやるよ。僕は前にお父さんとこの松里に来たことがあるから、この辺は良く知っているんだ。直ぐ近くだから早く行こう」

と言ってくれた。 手を引かれながら、この兄をこの時ほど頼もしく思った事はない。



乳母のモモが泊まっているという仮屋は国府のある台地(国府台)の手前を流れる川(現在の真間川)沿いにあった。この辺りは旅人の宿泊用の小屋が何軒も立っている。お代をはずめば小屋の持ち主が食事を用意してくれることもあるらしい。どれも粗末なつくりで通りから中は丸見えでそこをのぞきながら進むうち、一軒の小屋の中に横たわっていた女が少し頭をもたげ私と目を合わせた。

「こんな所に居たの。隙間だらけで風が素通しじゃないの。」

乳母は驚いて声も出ず、暫く私の顔をじっと見つめたかと思うと両の目から涙があふれ、顔をくしゃくしゃにして搾り出すように 「おひい様じゃありませんか。どうしてこんな所においでになったのですか」と声を発し、あとは言葉にならなかった。ひしと私を抱きしめ、涙にくれるこの育ての母が今日は小さく、頼りなげだ。少し落ち着くとモモはそこに立っている兄に気づき

 「定義様もご一緒でしたか。本当にこんな所にお出で頂くとは思いもしませんでした。このような見苦しい格好で申し訳ありません。」

と寝乱れた着物を直しながら挨拶した。兄も苫を周囲に一重めぐらしただけの庵を眺めやり、さすがに驚いた様子で

「幕も引いてないし夜は寒くて寝られないんじゃないか」

「大丈夫ですよ。着る物を全部上から掛ければ結構暖かですよ」

と側に寝かせた赤ん坊に目をやりながら、寂しげに微笑んだ。本当ならあのたくましい夫がついていてちゃんと幕を引いたり、油を引いた紙子を使って雨風を防いでくれたろうに…折角京に帰れるという時になって可哀そうに。上にかけている紅い絹の上着は普段は着ない晴れ着なのに、それを出さないといけないくらい寒かったんだ。

「赤ちゃんは元気、お乳はちゃんと出ているの?食事は持って来てもらえる?」

など矢継ぎ早に問い掛けるうちに、側で寝ていた赤ん坊が目を覚まして泣き出した。モモが止めるのも構わず、おしめを替えるのを手伝う。こんなことでも母の悲しみがやわらぐなら何でもやらずにはいられなかった。モモは赤ん坊に添い寝しながら出発してから今日までのことや、一足先に上総で別れて来た人達の消息を尋ねた。数日前の暴風雨でこちらも相当ひどい目に会ったろうに多くを語らず、

「もうこれからは秋のいいお天気が続きますから、ゆっくり養生できますよ。来月には元気になって、後から京に向かいますから心配しないでね。」

と私の頭を掻きなでながら話すのだった。二人が夢中でしゃべっている間、兄は赤ん坊の顔を覗き込んだり、そばの川で時間をつぶしていたが、西の空が赤く黄昏れて来ると、

「もう戻らなきゃ。直ぐ真っ暗になるよ」

と催促にやって来た。青味を増した空に月が登り、隙間だらけの小屋にその月影が差し込んで来た。青白く照らされた、やつれたモモの面影は上に掛けた紅い上着に映え、その美しさはこの世のものとは思えなかった。不安に胸が騒ぎ何だかだと言って話を止めない私を兄は引っ張るようにして連れ帰った。

宿の仮屋に戻ると、もう父を始め家族は食事を終えていた。兄と二人であわただしく食事を済ませたが、今夜ばかりは先ほど別れたばかりの乳母のことで頭が一杯で何を食べたかも思い出せない。

「だいぶ弱っている様子だったけど、ここに残して行って大丈夫?何とか出来ないのかしら」

と寝床で姉に問い掛けても

「そうねえ、でもきっと元気で後を追ってくるから」

と話しに乗ってくれない。外ではかがり火が焚かれ今夜中に荷物を渡す為に男達が忙しく立ち働く声がする。床の中で目を閉じても、さっき会ってきたモモの面影が目に浮かび、自分は大事な人を見捨てようとしているんじゃないか、このままニ度と会えないんじゃないかと不安が頭の中でぐるぐる回りまんじりとも出来なかった。







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