駿河なる蔦の細道をたどる
駿河国府 寛仁4年10月14日(グレゴリオ暦11月7日)
今、駿河国府に着いた。昨夜は清見の関の関屋で浪の音がうるさくて良く眠れなかった。お天気が怪しいので降り始める前に着くように大急ぎでやってきた。着いた所でちょうど雨が降り始めた。今日の宿りは国司の館の中の部屋だ。ここなら身体を拭いたり、着替えたりゆっくりできそうだ。駿河の守様は父とは蔵人時代のお仲間とかで、奥の方から笑い声が聞こえる。忙しそうにしていたのに大丈夫かしら。来る途中、兄と虎吉と三人で、
今日は役所で上総発行の切符を裏書きして渡し、代わりに「替米」など購入物品ごとに証書を作ってもらう。それを虎吉が倉庫に行って受領してくるのだとか。それ何の事?
兄「上総と駿河では米の相場が違うんですよね?」というと
「それはそうだが、大したことではない。役所同士の米の交換比率は殆ど固定だ。それより禄物価法にない物品の方が多いから、それは市場で実際の相場を調べてきてから決めるんだ。これが手間だな。でないと相手の言い値になってしまう」
「必要物品の市価は美代次と猪野次を市にやって調べさせます。私がそれまでに、仕入れ物品を書き上げておきますから、価格が決まり次第、国庁に出す物品ごとの切符申請書を若が作成してください。明日、切符が公布されたら手分けして馬で倉庫に取りに行きます」
「それにしても、安倍の市では右も左も勝手がわからんので、誰か案内を頼まねばならんな。倉庫もあちこち、ばらばららしい」
「細々したものは、蓬(よもぎ)と鳶丸、犬丸を市にやって集めさせましょう。こちらの支払には手持ちの米、布を持たせればいいでしょう」
雨は昼過ぎには上がった。今、申の刻かしら(午後3時~4時)。着替えも終わりさっぱりしたので、市の見物に出かけた。うちの宿営場所は神部(かんべ)のお社お境内らしい。市はその近くで開かれているという。足元が悪いので国司の舘で高下駄を貸してくれた。
<阿倍の市>
市は国司の舘から程近いところにあった。神部のお社(現在の静岡浅間神社)に寄ったら丁度、蓬が鳶丸、犬丸に篭を持たせ出かけるところだった。
「今日は久しぶりに屋根のある家で眠れます。寒くなってきたので助かります。あのお社は国司の一行が通るときには常宿になっているんだそうです」
「これから何を買うの?」
「言いつかったのは、まず、草鞋(わらじ)です。山越えがあるので200足位用意します。あとは食べるもの、里芋、干し大根、牛蒡(ゴボウ)、青菜、茄子の漬物、人参など野菜ですかね」
ここの市にはいろんなものを売っている。藁製品を売っている男の所にはうず高く草鞋が積まれていた。
鳶丸「これ全部で何足ある?」
男は「そうさな、150足ぐらいはあるかな」
「それ全部買うから商布半反でどお、ちょっと高すぎかな」
「いや、分かった、それで売るよ」
鳶丸は草鞋を全部背負って先に戻って行った。
蓬は食品の品定めをしながら、買う品物を決めていったが、細々し過ぎて支払がしにくい。これはどうするのだろうと思っていたら、犬丸が籠の中から米を取り出して相手のザルにマスで空けていった。野菜など細々したものは米でないと支払えない。
お社の前の宿営地では夕食の準備にかかっていた。すると、そこに小さな子供がいた。十ぐらいに見える男の子が二人、一人の背中には、2、3歳ばかりの子が背負われていた。
二人は蓬の着物の裾を引いて何か言っている。
「何か食べさせてくれと言っているんです」
身体は汚れ、身にまとっているものもボロぎれの様だ。まま母さんが後ろから、
「おなかが減っているんでしょう。何かあげたら」
「そうですねえ、まだご飯はこれから炊くし、里芋もお湯を沸かし始めたばかりで、すぐ食べられないしねェ。じゃ、さっき買った干しアンズを上げよう」
男の子を火の前に座らせ、干しアンズを3個づつ渡した。背中から下した子はまだ小さく干しアンズは固くて噛めない。それでも、よっぽどお腹が減っているのかかじりついた。
「あぁ、やっぱり駄目だ、ちょっと待って、お湯でふやかしてあげるから」
アンズを頬ばる子達を見ながら、
「あんた達、どこから来たの?、かあちゃんはどうしたの?」
「……」
「いないの?」
二人の男の子は涙ぐみながら頷いた。
「みんな兄弟なの?」
男の子は首を振りながら
「このチビは弟だけど、こっちは昨日会ったばかり。川のそばで食べるものを探していたら、こいつが、市に行けば何かもらえる、というから一緒に来たんだ」
「いつから親と別れたの?」
「少し前から…、いなくなった」
陽が落ちて寒くなってきた。まま母さんが
「そんな格好じゃ死んでしまうよ。ユリ、芳麻呂の古くなった着物があったでしょう。あれを持って来て着せてあげて」
その場を離れ国司の舘に戻ると、部屋には銘銘膳が並べられ食事の用意がされていた。夕食は駿河の守様のご家族と一緒に頂く。駿河の守様は陽気な方で、まま母さんや姉、私に色々と話しかけてくるが、奥方は大人しい方で、
「今日のお食事は口に合うかしら」とか「市はどうでした?」
とかポツリポツリとお話になる。
捨てられた子供達 寛仁4年10月15日(グレゴリオ暦11月8日)
翌朝、気になるので、姉さんとお社に子供達を見に行った。
二人の男の子は大人達と一緒に食事をしていたが、もう一人はと見ると、なんと蓬がおんぶしている。
「どうしたの?」と聞くと
「昨晩、この子の体が冷え切って、そのままにしといたら死んでしまうので、寝床に連れて行って、栗ちゃんと、はさんで寝たんです。今朝は少し赤味が差してきたんですが、一人にすると、泣いてついて回るのです。仕方なく、おんぶして仕事をしています」
「明日は出発というのに困ったねえ」
「ねぇ、これ見て、仏様みたい」と姉さんが手招きした。
蓬の背中には小さな仏様が眠っていた。無心、無欲、信頼!
食事をしに来た虎吉が姉さんを社の陰に手招きし
「殿にはまだお耳に入れていないんですが、あの子達を連れてゆく訳にはいきません。まだ、これから、山越えやら川越え、難所がたくさんあります。十にもならない子供はとても同道できません。まして幼児はいつ死ぬか分かりません。万一死んだら穢れが発生しますので、暫く祓いのためそこに留まることになります。可哀そうですが、ここに残してゆくしかありません。」
「誰か引き取ってくれる人はいないかしら?」
「十を越えれば逆に人さらいに、連れてゆかれるくらいですが、小さな子は弱いので、子のない夫婦くらいしか引き取り手はありません。今日中に見つけることは不可能です」
「駿河の守様にお願いしてもダメかしら」
「いや、それはお止めください。浮浪児はどこにもたくさんいます。お忙しい駿河の守様のお耳に入れても、下のお役人はキリがないので、適当にさぼるに決まっています」
「誰か信用できそうな人に、養育費用を渡してもダメかしら」
「私どもが出発して二、三日すれば放り出されるでしょう。皆、生活に余裕はありません」
国司の舘に戻ると、姉さんはママ母さんとひそひそ話を始めた。
蔦の細道を越える 寛仁4年10月16日(グレゴリオ暦11月9日)
お天気はいい。出発の時には駿河の守様のご家族まで見送りに出られた。ママ母さんは奥方の手を取って挨拶していた。父と駿河の守様は「じゃ都でまた会おうな」とか、名残惜しそうだった。
虎吉は兄に向かい、にやにやしながら
「あのお二人、昔は相当な悪童だったようですな」
いつものように、隊列を作るが、今日は先頭を弓を持った侍が数名固めている。何でも今日、通る山道は盗賊が多いので有名らしい。私たちの後ろにはいつものように、蓬や栗女が続く。匠の赤牛、鳶丸、犬丸、猪野、侍の藤太、それに猪野次は宿営の準備のため先発している。今晩の宿りは山陰の何もない場所で準備に手間取るとか。
安倍川の渡りは広々としていてその奥に山がそびえ立っていた。男たちは浅い流れはじゃぶじゃぶ歩いて渡るが私たちは輿で渡された。最後の流れはいつもの舟渡りだ。
全員が渡り終えるまで河原でおしゃべりをしているときに、蓬を呼び止めて、
「ねぇ、あの子達はどうしたの?」
「今朝暗いうちに、国司の舘で働いているという女の人がやって来て、三人を連れてゆきました。あの小さいのが、わぁわぁ泣き出して離れなかったのですが、無理に引きはがしておんぶしてゆきました。別れ際に、上の男の子が私の手を取って、言うんです、
『お姉ちゃん、ありがとう。…お姉ちゃん、かあちゃんに似てる』って」
姉さんが
「昨日、母さんと相談したんだけど、駿河の守様の奥様にお願いしたの。何とか育ててくれる、夫婦を見つけてくれないかと。そしたら、大きく頷いて、『お任せなさい』と言ってくださったの」
「よかった。また道に放り出されたら、これから寒くなるし、死ぬしかないもんね」
「私だってちょっと寂しかったんですよ。たった一日だけど、膝の上でご飯食べさせていると、にっこり笑うんです。私、家には弟や妹がたくさんいるので良くわかるんですが、小さな子が笑うのは、相手を信じて自分の全てを託しているんです。そしたら不思議なことに、こちらも幸せな気分になって力が涌いてきます。それは他人の子でも同じです」
山道はだんだん深く暗くなる。一休みしたところで源蔵は侍たちを集め、注意を与える。
「これから登る道は谷道だ。と言うことは斜面の両側から襲われる可能性があるということだ。男には家の者にも全員弓を持ってもらう。矢を分けてくれ。峠に出るまで約半刻(1時間)、それから下り半刻、広い道に出るまで気を緩めるな。万一襲われたら、荷物はそこに置いても、決して下がるな。上に登り優位な位置を取れ。敵を押さえたら、ためらわず殺せ、でないと死ぬのはお前らだ」
兄も弓を持ち箙(えびら)を背負う。父は弓は持たないが太刀を腰に吊るした。
最後にいつもの気合いを入れ、隊列は出発した。これまでとは違う緊張感だ。誰も声を出さない。聞こえるのは草や葉をかき分ける音だけだ。幸い、道を遮るような枝は刈り払われていた。たぶん先発した赤牛たちがやってくれたのだ。人が登るのは問題ないが、たくさん荷物を積んだ馬は脇の木々に荷物が引っ掛かりそれを払うのが大変だ。
予定通り峠に出ると、急に辺りが明るくなった。ここで小休止。ここが在原業平様の物語の蔦の細道だとやっと思い当った。
『駿河なる宇津の山辺のうつつにも夢にも人にあわぬなりけり』(伊勢物語)
山を下りつつ、業平様は一体何でこんな人里離れた所にやって来られたのか不思議でならなかった。これまで通ってきた武蔵国や下総国に見るべき華やかな物は何もなかった。まして、業平様は百年以上も昔のお方だ。相当な物好きだったのだろう。急な山道を転がるようにして藪から開けた場所に出た。それから暫く歩いて今日の宿営場所に着いた。先に準備に来ていた赤牛おじさんたちによって、庵の骨組は立ち上がっていて、天幕を張るだけになっていた。周りの藪はいつものように刈り払われ、枯れ木も集められ焚火の準備ができていた。気が利く鳶丸が、父の所に熱い湯を運んで来た。動いている間は汗をかいたが、切り株に腰かけて休んでいると秋の風はやはり冷たい。
山の方から男たちが騒ぐ声が聞こえてきた。
どどど…という音がして何か黒いものがこちらに近づいてきた。何か動物が走って来る。それを騎馬の侍が追いかけてくる。
「三郎だ」と思う間に、その動物は追い越しざま弓で射られ転倒した。しかし、すぐ起き上がり、また走り始めた。その瞬間、後ろから何かが飛び出し、その動物の頭に棒を振り下ろした。ゴキッ!という音がして動物は止まった。
「猪だ、でっけー」駆け寄ってきた鳶丸が叫んだ。
棒を振り下ろしたのは藤太だった。倒れた猪の後ろ足を両手でつかんで裏返し、刀を抜いて切っ先を喉元に突き入れた。そして抜いた途端真っ赤な血が噴き出す。
馬から下りた三郎と二人で後ろ足を片方ずつ持って引きずり上げると、ひとしきり血が流れ止まった。藤太は猪を道の脇に引きずりながら、
「若、これは大物です。よく射られました。あそこで止めなかったら逃げられたところです。お手柄お手柄」
鳶丸は転がった猪を見下ろしながら、
「夕食は猪汁だ、これから間に合うかな。でも、うまそうだ」と嬉しそう。
一部始終を見ていた父と虎吉は感心した面持ちでうなずいていた。
「三郎様もすっかり一人前の武者ですな。弓は引けても騎射ができる者はあまりいません。武者なしでは旅はできませんが、本物の武者を雇うのは一苦労です。京で人集めしたときも大変でした。こわもての男が何人も肩をいからせてやってきましたが、実際に弓を引かせてみると下手くそばかり。しかも十本も続けて引けません。肩がしびれただの、調子が悪いだの言い訳ばかりです。その点、上総の武者は安心です。国衙で使ったことがある者がほとんどですから、腕の程は分かっています」
父は声を潜め
「それより何より、武者は普通の人間ではないんだ。見たか、さっきの藤太の刀さばきを。何のためらいもなく刀を突き入れ、命を絶ってしまう。それができるのが武者なんだ」
「さようでございます。あのように人をも殺せるものが武者なのです。そうでなければ、こちらが殺(や)られます」
「そう言えば、上総ではよく狩で獲った猪だ、鹿だと言って肉を持って来てくれたが、あれも殺生をする練習なんだ」
「そんなこと、おっしゃてはいけません。いくら武者と言っても、人を殺める練習などできません。実際に敵を討ち取ったことがあるのは源蔵ほか数名しかいません。その代わり普段から狩で腕と度胸を磨いているのです。猪とはいえ、あれに殺されたり大怪我をする者は何人も居ます。人間より獰猛かも知れません」
「そうだな、あとで、三郎と藤太を誉めておかないとな」
虎吉は父の耳に顔を寄せて
「最近は殿も人扱いがお上手になられましたな」
大井川を越え初倉駅へ 寛仁4年10月17日(グレゴリオ暦11月10日)
昨日の夕食には予想通り猪の汁が出た。栗女の話では大きな猪だったので全員にたっぷりお肉が回って、盛り付けに苦労せずに済んだとか。量が少ないと、身分とか年齢など見計らうので気骨が折れるんだとか。
「それにしても、お昼過ぎに猪を取って夕食に間に合うってすごいね。そんなに簡単に、さばいてお肉にできるの?」
栗女は、笑いながら
「猪は私の村では畑を荒らすので罠で獲ります。捕まったら昨日のように、棒で頭を叩いて、気を失わせ喉を突いて殺すのです。殺したらすぐ血を抜き、できるだけ早く皮を剥いで肉にします。暖かい季節は傷むので大急ぎです。村の男は誰でも解体ができます。今度は旅の途中なので毛皮も内蔵も捨ててゆきますので、手分けして半刻(1時間)もかかりません。村では皮も内蔵も全部使います」
「栗女は見ていて、気持ち悪くないの?」
「いいえ、そんなこと言っていたら生きてゆけません。鹿や猪の肉は精がつくのです。ありがたい神様からのお恵みです」
お天気はすっきりしないが、風もなく雨は降りそうにない。
今日はこれから大井川を渡るという。ものすごく足元が悪いそうだ。
一刻(約2時間)ほど歩くと道が絶え、前に大きな広がる河原が広がっていた。今立っている場所は崖ぷちで、「前島」という所らしい。ここで旅人は一息入れ、渡っててゆくという。
<大井川を歩いて渡る>
河原に下りて歩き始める。足元は石だらけで歩きにくいが、雨が降っていないのでぬかるみはない。暫く歩くと虎吉が父に向かい
「殿、今回は沼尻も何事もなく越えられそうですな」
「そうだな、来る時は大変だったな。下がずぶずぶで何もかも泥だらけになったな」
「渡り終えたところで地元の者に聞いたら、大雨の時には本当に沼ができて、先ほど渡ったところは実際に水が流れ出して川になるのだそうです。そうなったらここには舟がないので水が引くまで渡れません」
「もっとも、大雨の時に大井川を渡る者はいないだろうがな」
「ところが、殿、この川が怖いのは、小雨だからと渡り始めたところ真ん中あたりで、突然、大水が上流から流れ下って来ることだと言います。そうなったら川の真ん中で立ち往生して、右往左往するうちに、流されて溺れ死にます。地元の者の話では大雨の後で海岸に旅人らしき人の死体が流れ着くことがあるのだそうです」
父上と虎吉が心配していた「沼尻」とやらも、何事もなく過ぎて一面、白い砂と石の原にかかった。この広い石原を流れているが水はといえば、白く泡立ち、板の上を流したようにすごい勢いで流れている。それに実際、水も白く濁っている。
「お姉さま、この水はまるですり粉を流したように本当に白いね」
「たぶん上流の方で山の白い土を削って流れてくるのよ」
流れは幾筋もあるが水の深さは大体、くるぶしくらいで大したことはない。冷たいが構わずじゃぶじゃぶと渡る。半刻(約1時間)ほど河原を歩いた頃、向こうの川岸が見えてきた。最後の流れは少し深く膝上まであった。ママ母さんと芳麻呂は輿で渡してもらったが、私と姉さんは手をつなぎ杖を頼りに流れを渡りきった。
初倉
川岸から少し歩き、丘を登る道の脇に初倉という村があった。家や小屋が何軒かあり人影も見える。ここは昔、初倉駅家があったところだそうだ。もちろん今は広場があるだけだ。先に出発していた、蓬と鳶丸がにこにこと満面の笑みで迎えに出てきた。既に庵の骨組が建てられ、焚火では湯が沸かされている。
「嬉しそうだけど、何かいいことあったの?」と姉さんが聞くと
「ええそうなんです。でもまあ、とにかく火の前で足を乾かして草鞋を替えてください。殆ど擦り切れていますね。
今朝、私が目を覚ますと川の方から音がするので、盗賊ではないかと、音を立てずに見にいったんです。なんと、鳶丸が毛皮を畳んで一生懸命絞っているんです」
鳶丸が頭をかきかき、
「実は藤太さんが毛皮は捨ててゆくと言っていたんですが、勿体なくて、そばの川に一晩漬けておいたんです。いえ、これは村ではどこもやっています。猪の毛皮にはダニや泥がついていて汚いんで、なめす前にきれいにするんです。誰も起きないうちに、川から引き上げると、これが重い! とてもこのままでは運べないので畳んで上から踏みつけて水を絞っていたら、藪の中に人の気配がします。やばい!逃げようとしたところで、ばったり蓬さんと鉢合わせしたという訳です。二人で踏みつけて何とか水を絞り棒を通して担げるようになりました」
「ところで鳶丸は本当に商売がうまいんですよ。あの村長の家にあいさつに行って、持っていた毛皮を見せると、なんと帰りに、持ちきれない程たくさんの山芋、大豆、小豆、野菜に替えてもらったんです。まだ毛皮の裏の脂も取っていない生皮なのに」
「でも、あの村長は、これ位大きな毛皮が欲しかったんだと、気に入ってくれたんです。何でも今年生まれた子がいて、この冬、風邪を引かせたくないんだとか」
夕食にはとろろ汁が出た。毛皮の話を聞いて父は
「京に着いたら、鳶丸には商いをやっている所に口をきいてみよう。上総の物産を扱っている商人であれば時々は郷里にも帰れるだろう」