更級日記の東海道の旅をもとに平安時代の古地形や文献で平安時代日本を再現
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果てしない尾張の野を越え墨俣の渡りへ

二村から熱田を経て墨俣の渡りまで


寛仁4年11月4日(グレゴリオ暦1020年11月27日


  暗闇の中を発つ。雨こそ降らないが、湿った冷たい風の中を二村の山へ登ってゆく。黒々とした松の木の下は肩まで届く笹で覆われている。先頭の続松(たいまつ)の明かりを目印に、まるで笹の海をかき分けるようにして進む。二村駅の裏山(現在の二村峠)を越えると下り坂になり沢に下りてゆく。朝の光がさし始めた頃、少し見晴らしがきく丘の頂きに出て休憩となる(名古屋市緑区八ツ松あたり)。虎吉は何度もここを通ったことがあり、北の方を指さしながら、この辺の土地のことを話し始めた。松の木がまばらに生え、お日様が心地よい。これまで藪こぎして来たので、少しほっとする。私が虎吉の顔を見上げると、説明を催促されたと思ったのか、

「これから先は坂を下って鳴海に下ります。そこから先は濱を歩いて熱田の宮まで参ります。問題は潮の加減ですな。着いたときにちょうど引いていればいいんですが、満ちていれば、潮が引くまで待つしかありません。地元の者は月の形で大体いつ頃潮が引くか知っているのですが、我等よそ者には浜に出てみるまで分かりません。変な刻限に当ると下手すると、鳴海で一泊することになります」

「そういえば、四年前上総に下る時には、夜、真っ暗な時に渡ったんだよね。続松(たいまつ)を灯しながら濱を歩くなんて考えたこともなかった」と兄が熱田の宮の方を見ながらつぶやいた。

馬の荷物を直していた美代次がやってきて、少し下に見える川をさしながら、

「あそこの川で、馬に水をやっていいですか。今日はまだ草も食べさせていないし、水も飲ませていません。山の中は、もう枯草ばかりであまり食おうとしません」

「そうだな、そろそろ腰を上げて下の河原でゆっくりするとするか」

距離的には中途半端だったが、岡を下ったところを流れている川で再度休憩となった。ここでは馬も荷を下ろしてもらい、まだ少し残っている青草を食べ始めた。

「馬は枯草も食べるので、何処で食べさせても同じかと思っていたけど、よく見ていると柔らかそうな青草を選んで食べるのね。やっぱり固い枯草はまづいのよ」

「姉さんは気楽でいいよね。僕は寒さがきつくなると、いい草が減って頭が痛いんだ。冬は草だけでは馬が元気がなくなるんで、麦や粟なんかをやるんだけど、何処でも手に入らないんだ。国府があるところだとまとまって買えるんだけど、山のように買っても運ぶのが大変で、そうもいかないんだ」

「大変ね。お馬はとても高価だから気を遣うのよね」

兄は美代次に向かい

「熱田では何か手に入るかな」

「あそこでは無理でしょう。魚ならありますが。やはり萱津迄いかないと飼料は揃いません」

「そうか…、それまでは、なるべく草の残っているところで、こまめに休ませて青草を食べてもらうしかないな」



鳴海(現在の古鳴海)という所は川が海に注ぐ場所にあった。とはいえ河口からずっと干上がって沖の方まで砂浜が続いている。日は上ったばかりで、お昼には大分間がある。浜には漁師の小屋がいくつかあり、その前で男たちが網の繕いをやっている。
猪野次は男の所にかけて行って何やら話しかけていたが、くるりと体を反転させ息せき切って虎吉の所に取って返し

「今すぐ渡ってくれということです。今干潮ですが、あと一刻(2時間)程で潮が満ちます。これを逃がすと次の干潮は夜になりますから、お急ぎくださいとのことです」

虎吉は源造を呼び

「すぐ潮が満ち始めるそうだから、荷物をできるだけ馬に積んで、先に熱田宮に向かってくれ。もう潮が満ち始めるそうだ」

そして父の方に向かって

「殿、お疲れの所申し訳ありませんが、もうすぐ潮が満ち始めるそうです。今なら何とか熱田迄たどり着けますので、すぐ、向こう岸に渡りましょう。これを逃がすと渡れるのは夜になります」

「わかった、こんな場所でゆっくりしていても仕方ない。すぐ行こう」

そんな訳で、鳴海では休憩なしで、みんな大慌てで濱に下りた。

「あそこの森なら、私でも余裕よね」というと、

兄は急ぎ足で歩きながら

「あそこに見えるのは森じゃないんだ。あれは島(松炬島、現在の名古屋市笠寺台地)だ。あの島の先にまた濱が続いている」

後から、荷物を山のように積んだ馬が常足(なみあし)で、ずんずん追い抜いてゆく。源造も今日は馬には跨らず、荷物を積んで手綱を引いている。

濱は平らだから歩きやすいかと思ったが、ここは泥のように、ぬかるんで歩きにくい。空は灰色に曇り、海も黒々としている。ごうごうと寄せてくる浪は浜に乗り上げるや白い玉になって砕ける。何やら恐ろしいものが近づいてくるようで足がすくむ。ただひたすら、下を向いて歩く。

 島というより森にたどり着く。浜に下りた時はずっと遠くに見えていた波打ち際は、もう一町まで迫っている。家の者たちが全員島に上がる間、一息入れる。大きな荷物は馬に移したけれど、皆めいめい肩や手に生活道具を抱えている。風は冷たいが皆大汗だ。

虎吉は皆が揃ったところで、目の前の岡を指し

「皆んな、苦しかろうが、これからこの山を越えて向こうの浜に出る。距離はいくらもないが、潮がもうそこまで迫っている。こんな山の中で一夜を過ごすわけにもゆかん。もうひと頑張り頼むぞ。では急ごう」

夢中で藪の中を駆け抜け、あちら側の浜に下りた。潮はもう下まで流れ込んでいた。

「大変だ、姉さん向こう岸までたどり着けるかな。雨まで降り始めたよ」

「大丈夫よ、裾をまくっていきましょう。着物は濡れたって乾かせばいいのよ」

冬の雨は冷たく、草鞋(わらじ)はずっしり重たい。でも何も考えず足元だけ見て歩く。



かくして、熱田の浜に上がることができた。潮はもうくるぶしの深さとなっていた。家の者も散々伍々浜に上がってきたが、最後に赤牛おじさんに手を引かれ、泣き面の猪野が岡に上がってきた。背には大きな釜をしょっている。びしょ濡れでまるで亀さんだ。
赤牛おじさんは


「大きな波を後ろから喰らって、海の中に倒れ込んだんです。釜をしょってるんで起き上がれず、この有様です」

皆は大笑いしたが、本人はしゃくりあげ顔面蒼白だ。

虎吉が

「とにかくその釜を下ろして、向こうの焚火の所に行って着替えるんだ。風邪を引くぞ。師匠、手数だがよろしく頼む」

どんよりと雲が垂れ込めているが、お天道様はまだ頭の上には来てない筈だ。一息ついているうちに、冷たい浜風が吹き付け、どっと寒さが戻ってきた。袿(うちき)も袴も波しぶきでぐっしょり濡れてしまった。

浜の一の鳥居をくぐって、森の奥に進み、家族並んで、まずは神様にお参りする。虎吉があらかじめ用意してきた木綿四手(ゆうしで)を三宝にのせ神前に奉る。一同拍手ののち頭を深く垂れ心の中でお礼を申し上げた。

「何とか無事に海を渡れました。神様ありがとうございました。これからもお守りください」

振り返ると、もう海は鳥居のすぐ下に迫り、泡を立てて渦巻いている。雨は上がっていた。



今日のお宿のことについて書いておこう。

私たち家族は大宮司のお屋敷の離れに泊めていただく。家の者は宮の周囲にある漁師小屋に分宿する。冬でなければ森の中に庵を建てて宿営するのだそうだが、冬は寒いので屋根のある所でないと過ごせない。

片づけが終わって社の森を三人で散策しながら、母さんはつぶやいた、

笛の音に神の心やたよるらん森の木風も吹きまさるなり
「これは赤染衛門様がご夫君の尾張守(大江匤衡)に同行されて、このお社で詠まれたお歌よ。本当に歌の通りのおごそかさだね」



寛仁4年11月5日(グレゴリオ暦1020年11月28日


  いつものように暗いうちに身支度を調え、集合場所の西鳥居に向かう。鳥居の外の松原で火が焚かれ、食事の支度をしていた。猪野も昨日はひどい有様だったけど、今朝は元気に薪を集めている。


「結局ここでは海産物以外は何も手に入らなかった。祭礼の日には近在から、いろんなものが持ち込まれて市が開かれ賑わうそうだけど」と兄は期待外れでがっかりした様子。
今日は萱津どまりなので東の空が白み始めて出発。


庄内川という川を舟で渡ったところが萱津だ。まだお昼には随分間がある。ここにはたくさんの舟が川岸につながれている。荷物を担いだ人が舟から上がったり、反対に積み込んだり賑やかだ。

街道の両脇には小屋が立ち並び、少し行くと荷物をたくさん積み上げた空き地の奥に、お屋敷らしい建物が見えた。虎吉がこちらを振り向き

「今日はここでお泊りいただきます。家の者の宿にはもう少し先の作業小屋を頼んでありますので、荷物を下ろして参ります」

そこに衣類をざるに入れ頭の上に担いだ蓬と栗女が屋敷の裏から出てきた。二人は準備のため一足先に着いていた。


「昨日、海で濡らした衣類は塩が着いていて、乾かしただけではべとつくんです。これから前の川で洗ってきます。裏の離れにお泊りの支度はできていますので中でごゆっくりなさっていて下さい」

離れは蔀戸が上げられ風が通されていた。ユリは手早く、板の間に広げられた莚の上に洗濯された足袋を並べ、

「今日は汗もかきませんでしたから下着は着替えなくてもいいですね。上がり框の所に盥が置いてありますので、泥だらけの足袋を脱いで、足を洗ってください。私は川で足袋を洗ってきます」

「ここは、やはりこの村の長の屋敷なの?」

「そうだと聞いています。なんでも萱津はこの辺では一番の村だということです。目の前の庄内川には山の方からも海の方からも舟がやってきて、取引が行われるそうです。虎吉殿や定義様は今頃、品定めで大忙しでしょう」



鈍いお日様が西の空に傾きかける頃、屋敷の前の空き地で食事となった。河原で草を食べていた馬たちも連れてこられ、建物や植え込みの陰につながれた。

まま母さんが、父や、兄に向かい、

「今日のお取引はいかがでした?」

兄は頭を横に振り、

「物はあったんですけど、いい取引とはいえなかったかな」

すると父は苦笑しながら

「少し手際が悪かったが、仕方がない所もあるよ」

何があったんだろうと姉さんと顔を見合わせていると、自嘲気味に、

「麦も粟も買うには買えたんだけどね…、はっきり言うと高値掴みしたんだ。今日はどうしても麦か粟を手に入れないと、これからどこで買えるかわからない。寒さが厳しくなると穀類をやらないと体温が下がって馬が体調を崩すんだ。死なせたら大損害だからちょっと焦ってしまった」

「兄さん、一体、何をやらかしたの?」とふざけて聞くと

「そんなにはっきり言うなよ。いいか、麦は米の6掛け、粟は米の4掛けなんだ。だから米1俵と、麦1俵と粟1俵合せて2俵が同じ値打ちなんだ。ところで相手は布が目当てだった。布1反は米10俵だ。男は冬に向けて妻のために着物を1着あつらえたいんだが、それには1反必要だ。それで米10俵分の麦と粟を買ってくれと云ったんだ。ざっと考えると20俵の荷物になる。しかし馬の数を考えたら、10俵だってかなり無理しないと積めない。だから『麦5俵と粟5俵で半反だな』、といったら、そんなら売らんと云うんだ」

父が苦笑しながら解説した。

「つまり足元を見られたんだな。お前がどうしても欲しがっているのを見てごねたんだ」

「結局、麦5俵と粟5俵に米1俵つけると云うんで布1反を渡したよ」

「他に麦や粟を持っている人はいなかったの?」

「その時はいなかった。でも荷物を引き取って片付けていると、川の方に俵を山積みした舟が入ってきた。美代次に聞きにやると麦、粟も持っていて布、半反でもいいと言っていたとか」

「残念ね。でも男のおかみさんも、これで冬の着物が作れるんだから、よかったですね。」とまま母さんが慰めた。

「父上、最近つくづく思うんですけど、昔あった銭が今でも使えたら何の問題もないんですよね?」

父は暫く考えていたが、

「そうだな。銭なら必要なだけ買えるからな。俺が子供の頃にはまだ、銭もたまに使われていた。今は物を買うために鉄の板や、すぐ食べない余分な米を持ち歩かねばならん。その上、その荷物を運ぶ馬の餌まで必要になる。不便なことだ」

「どうして銭はなくなったんですか?」

「たぶん、銭では価値が目減りがひどかったので、確実な絹とか米などの実用品で富を持つようになったのではないかな」

「どうして価値が目減りするのですか?」

「たとえば米が不作の時には、これまで1升1文で買っていたものが2文になるんだ。然し銭と絹の交換比率はそれ程変わらない。そしたら馬鹿でなければ、余分なお宝は絹に替えて持っていようと思うだろう。それに聞いた話だとずっと昔の銭は大きくて刻印もはっきりしていて、有難味もあったらしいが、俺が見た乾元大宝は小さくて文字もはっきりせず、石ころみたいでお宝には見えなかった。そんなこんなで、人は銭で受け取ることを嫌がり、使われなくなったのだ」

「では、今は全く銭を見ませんが、一体それはどこにいってしまったんですか?」

「たぶん鋳つぶされて、梵鐘、仏具とか御殿の金物、調度品にでもなったんだろう。寺は増える一方だしな」

兄はがっかりしていたけど、馬はご馳走をもらってご機嫌に違いない。

蓬と栗女はお給仕しながら

「今日は早く着いたので、洗濯物が全部乾いてしまいました」と嬉しそう。


寛仁4年11月6日(グレゴリオ暦1020年11月29日)


夜が明けて一刻ほどで青木川の河原に着く。ここは折戸(おりと、現在の稲沢市下津(おりず)という所らしい。ここで休憩だ。だだっ広いところで上り下りもなく、お天気もまづまづで、楽な旅だった。ここで休憩して、今日は尾張の一宮まで行く。虎吉の話では特に難所はないのだが、馬に荷物を積み過ぎているので、ゆっくり行くという。そういえばいつも先頭と最後尾は侍が馬上で警備しているが、先頭としんがりの馬は昨日買いこんだ俵を積んでいる。

父は、しんがりの三郎が着くと、

「今日は馬がなくてご苦労だな」

「いえ、殿、何をおっしゃいますか、冬は自分の足で歩く方が助かります。馬に半刻も乗っていると腰から下は冷えきってしまいます。歩くほうが断然、楽です。ただ、遠目が効かなくなるので警戒はしづらいです」

「この辺の田は手入れされていて荒れ地が少ない。見ての通り見えるのは切株だけだ。見通しはいいし心配はいらんよ」

「父上、どうして、この道は尾張の国府を通らないんですか?」と兄が話に加わった。
「尾張国府はこの西にある筈だ。だから素通りだ。昔は東海道が尾張国府を通り馬津(まず、現在の津島)で舟に乗り伊勢の国に出て鈴鹿峠から京に入っていたんだ。しかしそこが、頻繁に洪水で道が流されて通れなくなるので、この美濃路から東山道に出る道に変わったんだ」

話を聞いていた虎吉が、

「若殿、今でも天気がいい季節なら、通ろうと思えば通れるんですがね、これが当てにならない。予想外に大雨が降ろうものなら、国府から川に通じる道は流れてしまい、運よく川岸迄出られても、そこからの船渡りがまた大変です。長い距離を馬を舟に乗せて大人しくさせておくことは至難の技です。増水で足止めを食うと馬に食わす餌もなくなり、馬を死なすことになります。ですから最近では荷物がない身軽な旅に限って使われているようです」

「そうか、そんなら尾張国府に行っても、市には大したものは集まらないんだ」

「さようです。今は萱津の市が国府の市ような役割をしています。ただ、国府のように切符の決済をやってくれる役所はありませんから、取引もささやかなものになります」
「そうか…」と兄は頭を振ってため息をついた。



お昼頃、尾張の一宮、真清田(ますみだ)の神様のお社に着く。ここも熱田の神様と同じく大きな森の中にある。先に着いていた、美代次がこの社の宮司を連れてきた。挨拶の後、私たちは宮司の屋敷に、家の者は社の外に点在する百姓家に分宿する。


寛仁4年11月7日(グレゴリオ暦1020年11月30日)


  気味の悪い朝焼けだ。ひょっとすると一雨降るのかな。今日は墨俣の渡りまで行くので一行の雰囲気もピリピリしている。これまでも大きな河で荷物と馬を渡すのはとても時間がかかり、苦労も一筋縄ではなかった。しかも雨にでもなったらえらいことだ。

一宮を出たらそれまでと打って変って、ものすごい枯野になった。足元が悪い上に枯れ草の中で私が見ることが出来るのは空だけだ。

顔に覆いかぶさる草を払いのけながら、

「姉さん、もしこんなところで火を着けられたらおしまいね。日本武尊(やまとたけるのみこと)じゃないんだからみんな丸焼けになるんじゃない」

「縁起でもないこと言わないで。昨日、ちゃんと真清田の神様にお願いしたから大丈夫よ」

「でも、あのお社の神様は天火明命(あまひあけのみこと)とか言ったけど、火の神様じゃないの。火消しじゃなくて火を焚く神様だったら大変だよ」

「変なこと言わないで。言霊(ことだま)って言うでしょう。そんな事言っていたら本当にそんな事が起こるのよ」

玉ノ井という所で休憩した。ここには昔から清らかな水が出る泉がある。馬にもたっぷり飲んでもらい元気になってもらおう。泉の脇には小さな祠がある。皆、柏手を打ち一礼して旅の安全をお願いする。

 小さな川(および川)を渡って少し進み、川の土手に登ると、これはびっくり、大きな河が流れていた。虎吉は杖で東の方を指し乍ら、

「これが尾張と美濃を分ける境川です。ずうーっと東にある山々から、この水は流れてきます、そしてこれから我らが目指す墨俣で墨俣川と合流します。もうここまで来ましたら墨俣の渡りは、すぐそこです」

虎吉と並んで前を行く兄は

「これが最後の大船渡りだね。気を引き締めてやらないと事故を起こすね。この寒さで水に落ちたら助からない」

「若殿もすっかり旅の導師ですな。その通りです。細かいことにも注意を払い一つ一つ進めてゆけば大丈夫です。しっかりやりましょう」

土手道を歩くうちに、心配していた雨が降りだした。冷たい雨だ。


墨俣の渡り


  遂に川岸に出た。上総に下った時のことはよく覚えていない。今回自分の足で岸辺に立つと、この川の流れは広く大きい。少し上の方でずっと右手に見えていた境川と合流し、とうとうと流れている。流れの中央には洲も見える。両岸には舟がたくさんつながれ、海の湊を見ているようだ。

猪野次が父の所にやってきて、

「先に殿のご家族にお渡りいただきます。今晩のお宿はこの湊の長(おさ)の屋敷を頼んであります。ご案内いたしますので、ごゆっくりなさっていてください」

「これから、いつものように運搬作業が始まるのね。夜までに終わるかしら。雨も本格的に降ってきた」

川を渡ると、川岸に沿って土手が続く。土手に上って下を見ると、そこに聚落がある。私たち家族もボケボケしていられない。いつもだったら、家の者が何でも調えてくれるのだが、こんな日は特別だ。誰も私たちの事には目もくれず、必死に目の前の仕事と格闘している。雨の中を蓬が髪を振り乱して走ってきて、

「ご家族のお宿はこちらです。こちらにいらっしゃってください」

案内された建物は村長の屋敷内にある建物だ。生垣で囲まれ、母屋のほか建物が三棟建っている。隅のほうに小屋掛けしたかまどがある。その前で鳶丸と猪野が二人がかりで火を起こしている。

「申し訳ありませんが、これから食事の準備をしますので、お部屋の方でお休みください」

と言い残して蓬は姿を消した。見れば一応、板床が貼ってあるが、ぎしぎし音がする。明り取りの窓もあるが今は全部板戸を下ろしてある。入り口から入る光だけで奥の方は薄暗い。

そこに犬丸が大きな荷物を担いで駆け込んできた。

「夜具をお持ちしました。雨皮を掛けてきたんですが、少し濡れたかもしれません。ここで広げて干させていただきます」

ユリが出てきて

「あらまあ、雨が強くなってきたねえ。ご苦労様。ここは私がやっておくから犬丸は行っていいよ。ほかにたくさん仕事があるでしょう」

「はい、では失礼致します」と駆け去る。

家の者たちは長者屋敷の隣にある布施屋という小屋に泊まる。昔布施屋というのは御上が運営し食事も負担していたそうだが、今は泊まるだけで食事は自弁だ。小屋の修理は村長が負担しているという。小屋は少し覗いただけだが、かなり古びていた。室内の片づけをすましてから、姉さんとつれだって、外の様子を見に行った。さっき荷物にかかっていた雨皮が傘代わりだ。屋敷の庭は運び込んだ荷物が積まれごったがえしている。庭の隅の小屋には釜が二つ据えられ、煙と湯気がもうもうと上がる。栗女は菜を刻みながら

「今日は早めにお食事にします。瀬渡ししている人たちはお腹が空くので、手が空いた人から食べてもらいます。釜の中身は熱田で仕入れたハマグリの干貝とワカメをご飯に炊き込んだ雑炊です。冬の雨は体を冷やすので、普段の倍炊きます」

釜の傍で猪野が火を絶やさないように顔を真っ黒にして奮闘している。雨の日は薪も濡れているので大変そうだ。最初の釜が炊き上がると大きな折敷に碗を並べ盛り付ける。鳶丸はここで量がちぐはぐにならないように気を遣う。飯の量でも喧嘩になるからだ。折敷は隣の小屋に運ばれ、居合わせた者から食事をとる。

 馬のいななきが聞こえてしばらくすると、ぐしょぐしょの袖を絞りながら父と兄が戻ってきた。

「やれやれ、今日は大変な天気になったな」

「でも父上、何もなくてよかったです。いつかのように馬が水に落ちたら大変だった。この川は流れはあるし深そうだし」

「そうだな。この寒さで水に落ちたら、助け上げても大体病気になって助からない」

「今日は一昨日(おととい)買い入れた麦をたっぷり馬たちにふるまいます。こんな冷たい雨の日に外で草を食べさせたら、身体を冷やしてしまいます」

「お兄様、それで馬さんたちは今どこにいるの?」

「この墨俣は、馬がたくさん通る場所だから馬を泊める馬小屋があるんだ。人の入る小屋ほどではないけど、一応壁もあって風は大体防げるよ」

「良かった。今夜も冷えそうだから、どうなるんだろうと心配だった」

外は雨降り模様だがまだ明るい、大体、申(さる)の刻(午後3時から5時)位だろう。そこに栗女が折敷を抱えて入ってきた。

「お食事をお持ちしました。炊き上がったばかりで、熱々なので、お気を付けて召し上がってください」

続いて手桶と柄杓を持って犬丸が駆け込んできた。

「さ湯をお持ちしました」

まま母さんは暖かい碗で指を温めながら

「おやおや犬丸、顔が真っ黒じゃないの。今日は忙しかったんだね。ご苦労様、寒い日には温かいものが一番だね、ありがとう」

「はい、最初の内は薪が濡れていて、なかなか火が付かなかったんです。今日は四度も飯を炊くので、間に合うか心配で…」と安堵の様子で袖で顔を拭った。

こうして最後の水の難所は過ぎた。


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