更級日記紀行まえがき
菅原孝子、これは1017~1020年の4年間上総の国(かずさのくに、現、千葉県中部)の介(すけ)(今なら県知事)であった菅原孝標の二女の本ホームページ上での仮名です。残念ながら本名は伝わっていません。たぶん〇〇子である事は間違いないので仮に父親の一字を借りておく事にします(受験生の方はご注意!)。彼女は有名な更級日記の作者です。更級日記は彼女の五十余歳に至るまでの回想録でこれには当時の社会の様子や自然に関する事が随所に書きこまれ貴重な歴史資料ともなっています。中でも父の任期が明け、上総の国府(現在の千葉県市原市)から京都に帰る東海道の旅に関する記述は現在の私達が読んでも、どきどきする感動が伝わって来る優れた旅行記です。当時菅原孝子は13歳(かぞえ歳)、とても好奇心に満ちた多感な少女でした。お勉強も良くできたに違いありません。旅の途中見聞きした事をしっかり記録に残したらしく、五十を過ぎてからこの回想録をまとめています。よく作者は文学少女などと言われたりしますが、その簡潔な文章や自然観察の細かさからすると現代風に言えば理科系的頭脳の持ち主ではないかと思われます。ともあれこの更級日記のおかげで他の記録に見られない多くの事実が私達子孫に伝えられる事になりました。
京都に着いてから後の部分は、孝子の人生の旅ともいえるものですが、その生き様には男女を問わず現代の中高年には共感を持たれる方も少なくないでしょう。鎌倉時代に藤原定家が更級日記を書写したばかりか、注釈まで行なったのは、彼もまた彼女に共感をいだいた一人であったということかも知れません。確かに孝子は受領階級の貴族という当時の特権階級ではありましたが、無為徒食の人ではありませんでした。更級日記を仔細に読むと彼女は産後亡くなった姉の子や自分の子を育て、家計のやりくりなど一家の中心となって、あまり裕福とはいえなかった孝標家を必死に支えていた事が分かります。一体そのような多忙な人生のいつ頃、物語を書いていたのかと不思議になりますが、それについては本人も一切触れていません。これについては「菅原家の謎」で想像を巡らして見ることにしましょう。物語作家として彼女を紫式部と比較し二流作家扱いする傾向がありますが、それは全くお門違いというものです。もちろん紫式部が天才であったことは誰しも認める所ですが、一方で孝子も千年後の現代まで残る『浜松中納言物語』や『夜の寝覚め』の作者と考えられています。また、この更級日記で、当時の自然や社会、中流貴族のありのままの生き方を伝えてくれた、優れたノンフィクション作家でもあったのです。彼女はこの日記を残すことで立派に貴族としての責務を果たしました
さて、これから始まる第一部、平安時代東海道の旅は国文学講義ではなく、あくまで更級日記を題材に取った日記風旅物語です。原典にないエピソードもたくさん書き加えています。しかし目的とするところは我々の住む土地が平安時代どうであったか、そこに生きた先祖である、人々の生活の実態がどんなであったかに少しでも近づくことにあります。原典の現代訳では簡潔すぎて、現代の人に当時の地理的環境、社会情勢や菅原家の家庭状況が目に浮かびません。そこで新たに「菅原家の旅物語」という形で文献や諸先生方の研究成果や、大きな改変を加えられたとはいえ同じ場所に存在する土地を手掛かりに更級日記に記された足跡をたどり、通った土地の現在地、経路を推定し、当時を再現したいと思います。また当時の社会情勢、旅の実態や苦労なども明らかにできたらと願っています。
※平安時代、鎌倉時代の東海道は、それ以前、律令時代から奈良時代にかけて全国に建設された駅路とも、江戸時代の東海道とも、かなり異なります。もちろん重複する区間も多いですが、現代から見ると、とんでもない所を通っている区間があります。この辺が、数多く出版されている江戸時代東海道の街道探訪記との違いです。
更級日記紀行記事一覧
- 更級日記紀行まえがき
- 帰京の知らせ
- 門出
- 上総のいまたちから旅立ち
- 真野の長者の跡を見てくろどの浜
- 松里で乳母とつかの間の再会
- 太井川の岸辺で涙の別れ
- 浅草から日比谷入江
- 竹芝寺
- 竹芝寺裏伝説その1
- 竹芝寺裏伝説その2
- 竹芝寺裏伝説その3
- 武蔵野を歩く
- 一路南下、弘明寺へ
- 東海道、相模路をゆく
- 駿河、横走りの関(関山)での長逗留
- 富士、愛鷹山を巡って富士宮へ
- 富士の社でかぐや姫の物語を聞く
- 海辺の東海道をたどり清見の関で遊ぶ
- 駿河なる蔦の細道をたどる
- 病気で旅を中断して天竜川河畔の仮屋にとどまる
- 天竜川(天中川)を渡り遠江を行く
- 三河の野を歩く
- 三河国を横断し尾張に入る
- 果てしない尾張の野を越え墨俣の渡り
- 美濃路を行く。野上でひと時の休息、息長まで
- 息長(醒井)から清水駅家まで(湖東の旅)