-
駿河国西部の平安時代東海道がかつての駅路、日本坂から早い時期に宇津ノ谷峠(蔦の細道)に変更された理由
-
平安時代の「清見の関(きよみのせき)」はどんな場所か
-
平安時代東海道に蒲原(かんばら)駅家と息津(おきつ)駅家を探る
-
更級日記に登場する多胡の浦(たごのうら)とはどこか
-
駿河国における東海道、大井川の渡河コースは三度変わった
-
平安時代東海道における駿河国府の西よりの宿営地は岡部か
-
岫崎(くきざき)あるいは薩埵(さった)越え
-
更級日記に記された駿河国最後の経過地『ぬまじり(沼尻)』の景観と現在地
-
平安時代における海辺の集落の風景-宇津保物語に見る
-
遠江国の駅家ー横尾駅について
-
更級日記一行は天竜川河畔のどこで宿営したのか
-
天竜川池田の渡しについて
-
浜松周辺の平安時代東海道・鎌倉街道
-
浜名から三河国府までの鎌倉街道
-
遠江国、大井川から天竜川までの平安時代東海道(鎌倉街道)
-
平安時代東海道が大井川を上流の金谷でなく初倉駅家がある(渡河地点:色尾)下流で渡った理由
-
高師の山はどこか
-
平安貴族の記憶に残る『末の松山』から貞観大地震・津波(1156年前の東北大震災・津波)の惨禍を辿る
-
湖西市新居町にある平次ヶ谷(へいじがや)の歴史地理的意味
-
いのはなのさか(猪鼻の坂)とはどこか