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黄瀬川(木瀬川)宿は更級一行の通過ポイントか
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駿河国東部の平安時代における富士川周辺の東海道および鎌倉街道
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『草薙ぎの剱』神話が伝える野火の恐怖と平安時代の野営地の選定
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江戸時代東海道において富士川と根方道間のルート決めるランドマークは水神の森と愛鷹山
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駿河国、静岡平野の平安東海道、鎌倉街道
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駿河国西部の平安時代東海道がかつての駅路、日本坂から早い時期に宇津ノ谷峠(蔦の細道)に変更された理由
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平安時代の「清見の関(きよみのせき)」はどんな場所か
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平安時代東海道に蒲原(かんばら)駅家と息津(おきつ)駅家を探る
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更級日記に登場する多胡の浦(たごのうら)とはどこか
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岫崎(くきざき)あるいは薩埵(さった)越え
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駿河国における東海道、大井川の渡河コースは三度変わった
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駿河国中部(安倍川西岸、丸子地域)の地誌と古代東海道、鎌倉街道
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平安時代東海道における駿河国府の西よりの宿営地は岡部か
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更級日記に記された駿河国最後の経過地『ぬまじり(沼尻)』の景観と現在地
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平安時代における海辺の集落の風景-宇津保物語に見る
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遠江国の駅家ー横尾駅について
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更級日記一行は天竜川河畔のどこで宿営したのか
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天竜川池田の渡しについて
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天竜川による遠州平野と、その海岸地形および浜名湖の形成
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鎌倉時代の『海道記』によれば橋下から浜松の浦へは船便もあった